starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

岩手 平泉 (JR東日本パス④)

3月13日10時25分

JR一関から東北本線で1駅

平泉駅に到着。

ポストが青い‼️

では、中尊寺&金色堂を目指して

また歩きます‼️

向こうに見える山の奥が

中尊寺、金色堂があるのでしょう。


歩いて2キロ

やっと中尊寺の参道入口に到着です。

さあ、ここから山道登りです。

途中のお地蔵さんを

拝んでまた、山道へ戻ります。

所々に色んなお堂がありますね。

ここは弁慶堂でした。


さあ~やっと中尊寺に到着です。

以外に急な参道なのですが、

みんな頑張って来ますね。

お香の香りが辺りに

立ち込めています。


お金をちょっと払ってお香を火にくべます。

みんな幸せで、ありますように.....

中尊寺過ぎてすぐ左手に金色堂が

あります。

ここで料金支払って

中に入ります。



覆い堂?に着きました。

うっすらと中の金色堂の

シルエットが見えます。

中は撮影禁止でした。

では中に入ります。

残念ながら中は撮影禁止なので

パンフレットの写真、文章引用です。


金色堂は堂の内外を金箔で飾った

皆金色(かいこんじき)の

阿弥陀堂です。

きらびやかと言うより厳かな

輝きと藤原4代の栄華を物語る

と言う感じです。



中尊寺金色堂には藤原4代のミイラが

安置されています。 

このミイラは藤原清衡、基衡、秀衡のものがそれぞれ「中央壇」「左壇」「右壇」の3つの須弥壇に納められ、泰衡の首級が参拝者から向かって左側に位置する右壇に納められています。

そのミイラですが....



藤原氏四代のミイラ[朝日新聞社(1973)

『日本人類史展』より改変して引用] 


 初代:藤原清衡

[1056(天喜4)-1128(大治3)]


 第2代:藤原基衡

[1105(長治2)-1157(保元2)]


 第3代:藤原秀衡

[1122(保安3)-1187(文治3)]


 第4代:藤原泰衡

[1155(久寿2)・1165(長寛3)-1189(文治5)](*伝聞としては、藤原忠衡のものとされていた)


 藤原氏四代のミイラを人類学的に調査したのは、東京大学理学部人類学教室助教授(当時)の鈴木 尚[1912-2004]でした。



子供の頃見た、ミイラの写真は

これでしたね。

このミイラは人工的に、作ったものではなく

自然にミイラになったらしいです。

置かれていた環境が、自然にミイラを

作り出したそうです。


子供心に、よくこんな状態で保存出来た

物だと感嘆のため息と時代と歴史を

感じた物です。

とノスタルジーに浸りながら、

金色堂を後にしました。


覆堂の脇には

松尾芭蕉の句碑があります。

あの名言ですね....




覆堂が遠くにみえます。

途中 松尾芭蕉の銅像がありました。

お堂までの階段が木の根っこと

普通の階段と混じった不思議な空間です。

これは凄い....

建物の中に

文字で描いた柱があります。


能楽堂の舞台が

ひっそりと出番を待っています。

神楽等で舞を踊る姿は

厳かで素晴らしい眺めでしょうね...



この後遂に雨になり

土砂降りになり、気温も下がり

かなり冷えて来ましたよ。

落ち着いてから下山しましたけど、

ずうっと雨でした。