starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

自性院 猫地蔵堂

やかんづる

自性院、猫地蔵堂に来ました。

弘法大師の石碑あり。

○東京都新宿区の「自性院」にある

猫地蔵は、室町時代に

太田道灌が戦で

迷った際、黒猫に導かれて

難を逃れ勝利したという

伝説に由来しているそうです。

感謝した道灌が猫の死後に

地蔵尊を奉納し、

後に江戸時代の猫面地蔵も加わった、

約600年の歴史を持つ「猫寺」

の象徴です。

大招き猫発見。

金に塗られた大きな鈴に

目です。

左手挙げてるので

商売繁盛でしょうか?

手書き感一杯の髭が気になります。

 

大招き猫は自性院看板の

すぐ横にあります。

⭕招き猫発祥の地として

ここ自性院、猫地蔵と......


○豪徳寺(東京都世田谷区): 江戸時代、

彦根藩主・井伊直孝が門前の猫に

招き入れられ、雷雨を避けて住職の

法話を聞くことができたという伝説が由来。

招き猫は「招福猫児(まねきねこ)」

と呼ばれる。

一般的な招き猫と異なり、

小判を持たず右手を上げている。

これは、猫は人を招いて

「縁」をもたらすが、

福そのものを与えてくれるわけではない

(自ら感謝の心を持つことが重要)

という教えから。

招福猫児(まねきねこ)に願いを込め、

願いが叶った後にお礼として

奉納する習慣があるため、

招福猫児奉納所には

数千~一万匹とも言われる

無数の白猫が並ぶ。


○今戸神社(東京都台東区)

江戸末期の1852年頃、

浅草の今戸焼の職人が作った

「丸〆猫(まるしめのねこ)」が

起源とされる。

浅草今戸職人の様子。

○伏見人形(京都府): 伏見人形の

「招き猫」が全国的なルーツ

(土人形)とも言われています。

江戸時代初期、伏見城の瓦師や

土師部(はじべ)が稲荷山の土を

用いて作ったのが始まりと言われます。

稲荷の土を持ち帰る信仰とも

結びついていました。

最盛期: 江戸時代、伏見街道沿いに

約50〜60軒の窯元が並び、

京都土産の代表格として全国に

広まりました。


と、4つの説があるのですね。

どれもホントで良いと思います。

良く見るとこの大招き猫

筋肉隆々ですね、凄い!


では参道歩いて参りましょう。

弘法大師様の像

足元には靴を脱いで歩く

石が敷かれています。

15分以上歩かないで!と

書いてます。


いやーここは痛そうてす。

15分も歩きたくないですね(笑)

と言うか、激痛で歩けないですよ。

稲荷神社です。

裏手には破壊された痛々しい

お稲荷様が珍しいポーズを

取っています。

あまりこんなポーズは見ないですね。

お地蔵様も多数あります。



○身代わり地蔵

江戸時代に太田道灌を危機から救った

猫の伝説をモチーフに

奉納された珍しい

寝姿のお地蔵様です。

猫の死後にその恩を報いるため

造られたと伝えられているそうです。

こんな寝姿のお地蔵様は

初めて見ました。

この大きな釜は1体....?

かすれた看板の文字は

防火用水です。

神仏も数多く並んでいます。

ここが猫地蔵になります。

○自性院(猫地蔵堂)のいわれ


太田道灌と黒猫の伝説 (1477年)

室町時代の「江古田・沼袋原の戦い」

で迷った太田道灌の前に黒猫が現れ、 

自性院へ導いたと言われています。

猫のおかげで危機を脱し戦に勝利した

道灌は、この猫を「猫地蔵」

として祀ったそうです。

猫地蔵堂内部

どこも、かしこも、招き猫で

溢れています。


ご本尊の足元にも招き猫が

囲んでいます。

隣には不動明王も祀られてます。


  

○自性院の猫地蔵は

2体あるそうです。


1体は猫に縁のある寺のきっかけとなった

太田道灌によって奉納されたもので

みんなの願掛けでなでられたため

顔はつるつるで何もなくなって

しまっています。


もう1体は

江戸時代に奉納されたいわゆる

猫面地蔵です。こちらは猫特有の

顔つきがはっきり残っています。


この2体は年に一度

節分の時にのみ

御開帳されるとの事。

(ネット画像)


これは歌碑ですね。

猫地蔵の向かい側に位置する

猫塚になります。

一説では三味線になる猫たちを

供養するために建てられた…

とも言われてるそうです。

これも猫塚

猫地蔵堂 太田道灌の猫への

愛情を感じる場所でした。

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