starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

朝之景 日本橋

やかんづる

歌川広重の東海道五十三次

の浮世絵は、

幼少期から

お茶漬けに付いてくるカードで

親しんで来ました。

特に参勤交代の大名行列は

No.1

"朝之景"は子供心に印象的な作品

です。


この、"朝之景"に触れて

みたいと思います。

⭕左右にある木の門ですが、これは

"木戸"です。

治安維持の為に町ごとに

設けられた木の門の事を言います。

明け方まで門は閉じられ

朝方午前4時頃に開門と思われます。

この木戸が開かれた事により、

これから始まる長い旅への

期待と緊張感を演出しています。

⭕棒手振

ザルや木桶、籠などを付けた

天秤棒を担いで、魚や野菜などを

売り歩いた行商人。


⭕まな板

棒手振たちの中には

まな板と包丁を持参して

売った魚などをその場で

捌いて売ったりしていた。

鮮魚や野菜、豆腐などの食料品のほか

植木、金魚等も売ったりしていた。

棒手振は元手がほとんど掛からない為、

なり手が多かった。

幕府は弱者救済の措置として高齢者

や子供、身体が不自由な人などに

営業許可証を優先的に、与えていたが

許可を得ずに営む闇業者も多かった

のだそうです。


⭕参勤交代の大名行列

日本橋が起点の五街道を通って

多くの大名が国許と江戸を往復した。

移動にかける日数を減らして

予算を削減するため、朝早くから

出立したのだそう。


⭕挟み箱 

携帯用の衣装箱の事

衣類などを入れて従者が担いだ。

行列の先頭が担ぐ物を

"先箱"と言うそうです。

特別な大名には金紋の挟み箱が

許されたそうです。

参勤交代は

隊列を組んで壮麗な行進するのは

町中だけで、宿と宿の間は駆け足で

先を急いだのだそうです。


隊列の全員を正規の武士で揃える

のが難しい場合は、臨時に

人足を雇い上げて水増しした。

宿ごとに雇う"宿継人足"

国許から江戸まで通しで雇う

"通日雇"などがあり

専門の斡旋業者もあったと言います、

経費を、抑えながら藩主の威厳を

誇示するためには

外部パワーの活用が欠かせなかった

んですね。



⭕擬宝珠

橋の格を表す装飾。

欄干の柱頭部を腐食から防ぐ為の

装飾でもあった。

江戸市内では江戸城門の橋の他に

日本橋、京橋、新橋に備えられた。

⭕野良犬

江戸時代には町中に野良犬が

多く見られたそうです。


⭕日本橋 朝之景には

もう1つの作品があります。


別称 日本橋行列振出

この「行列振出」バージョンは、

特に日本橋の混雑と大名行列の

出立が強調されており、東海道双六の

「振り出し(スタート)」に

ふさわしい場面として描かれたもの

なのだそうです。

そして.....

これは"江漢"の作品なのですが、

実は歌川広重の東海道五十三次は

この江漢の作品を、

参考にしたのだと

言う本が出ていました。

この作品すっかり構図が同じです。

司馬 江漢

江戸時代の絵師、蘭学者。

青年時代は浮世絵師の鈴木春信門下で

鈴木 春重を名乗り、中国より伝わった

南蘋派の写生画法や西洋絵画も学んで

作品として発表し、日本で初めて

腐蝕銅版画を制作した。


司馬 江漢 1747年~1818年11月19日


歌川広重 1797年~1858年10月12日


歌川広重より50年前に生まれて

1813年頃より東海道五十三次制作かと

あります。


20年後の1833年に歌川広重の

東海道五十三次が刊行されたそうです。


左 司馬 江漢


右 歌川広重 


右側の絵は司馬江漢の日本橋(着)です。

左手前にオランダ人の従者である

パタヴィア人(現在のインドネシア人)

の傘持ちを描いています。

パタヴィア人が江戸に来た史実は

ありませんが、オランダの

東インド会社がインドネシアを

占領していることは知られていたので

オランダ人の代わりに描いたのかも

しれません。

文化10年(1813年)夏から秋にかけて

鎌倉に居住した時期に描かれたものと

想像されます。


オランダ商館長の

江戸参府は1850年まで継続して

いましたから、広重が東海道53次を

描いた時期には、

長崎屋も石町に存在しオランダ人の

江戸参府も継続していました。

オランダは東インド会社を経営し、

パタヴィア人を採用していたので

日本にいてもおかしくないと

考え登場させたのかもしれませんね。

幕府はセキュリティの観点から

オランダ人を一般市民に晒すことはな

かったので、

パタヴィア人を出現させてオランダの

雰囲気を醸し出したのかもしれません。

と解説されています。

他の全作品

司馬 江漢司馬 江漢の東海道五十三次

歌川広重の東海道五十三次は

ほぼ全て同じ作品でした。


なので司馬 江漢の作品を踏襲したのは

間違いないのだと思われます。


しかしながら、歌川広重が

東海道五十三次を発表しなければ

これほど注目される事はなかった

のでは…

そして

色んな朝之景、日本橋が存在しています。


⭕歌川国貞 日本橋


○PSDファイル内の色レイヤーを調節

日本橋の景色を『朝之景』ならぬ

『夕之景』にアレンジした作例。

畠中恵

しゃばけの日本橋

⭕水木しげる

鬼太郎の日本橋


色んな日本橋があり

興味深く感じます。

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