starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

狛犬巡り(26) 西久保八幡神社

港区 麻布台ヒルズ神社

"西久保八幡神社"

神谷駅から歩いて10分位で

到着です。




最初の鳥居を潜り



階段を登り八幡神社の第2の

鳥居を目指します。


第一の狛犬の阿形は上を

見上げているらしく

表情を伺い知る事は出来ません。

最初は顔が欠けているのかと

思いました。


吽形の狛犬も上を見上げてます。

この狛犬は年代不詳です。

蹲踞の姿勢で、

尾がピンと立ってます。


阿形の後ろ姿は彫りがなく、

後ろ足も原型が曖昧になっていました。

長年の環境の影響で劣化したので

しょうか....

一見すると顔が崩れ去ってる様にも

見えますが...

上を向いてるのですね...




本殿を前に第2の狛犬。 

阿吽共に前足の下で子犬が寝そべり、

台石に「廣小路 神谷町 宮本」

と刻まれている。建立年代不明ですが、

おそらく江戸後期頃以降と思われます。


お、良く見ると左手、吽形

なのに口を開けてましたね。

第2の狛犬の

阿形、吽形。

子供を守る様に優しく前足を

そっと添えてます。




背後にはビル群がそびえ立ちます。

まさか、こんな所に立派な

神社があるとは知りませんでした。


こちらの子供は甘えん坊の様にも

見えます。

同じく優しく触れない様に

子供を守っていますね。


⭕️縁起

寛弘年中(1004~12)に、

源頼信(多田満仲の三男)が、

石清水八幡宮の神霊を請じて、

霞ヶ関のあたり(榎坂とも)

に創建したという。


太田道灌の江戸城築城に際し

(築城は長禄元年・1457)、

現在地に遷された(諸説あり慶長5年とも)


徳川秀忠(徳川二代将軍)

正室の崇源院(諱は「江(ごう)」

「お江」・浅井長政とお市の方の三女・

家光の生母)は、慶長5年(1600)

家康・秀忠の関ヶ原の戦での戦勝と

安全を祈願し、その報賽として

社殿建立の遺志を残しており、

家光公御代寛永11年(1634)、

社殿が造営され、同時に御神体の木像

(八幡宮座像・仲哀天皇座像・神功皇后座像)

と明王像(不動明王立像・愛染明王座像)

も奉納された。

(享保8年(1723)の火災により焼失)



元和5年(1619)には

時の鐘が建てられたが、

寛文10年(1670)に割れてしまい、

現存はしていない。

享保8年(1723)の火災の翌年には

土蔵にて社殿が建造されたが、

文化8年(1811)にも火災に遭い、

文政元年(1818)に再建されている。

この二回の火災により宝物・旧記等は

ことごとく失われた。

明治維新の神仏分離までは、

八幡山普門院と称し、

東叡山の末寺であったが、

江戸八所八幡の一つに数えられ、

八八幡詣(ややはたもうで)

として多くの参詣を受け、

周辺は門前町として賑わった。



かつては鬱蒼(うっそう)とした木々の中に

1953年築の社殿がありましたが、

麻布台ヒルズの開発に合わせ

「令和の御造替事業」として2019年に

境内全体の再整備を開始。

この新社殿は2021年に竣工。

麻布台ヒルズ開業と共に完成してます。

(画像拝借)

西久保八幡神社の御祭神は、

品陀和気命(ほんだわけのみこと:応神天皇)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと:

神功皇后)

帯中日子命(おきなかつひこのみこと

:仲哀天皇)の三柱。


二の鳥居あたりから社殿を見渡せば、

その後ろには「麻布台ヒルズ森JPタワー」

「麻布台ヒルズレジデンスA棟」

をはじめとした10棟ほどの超高層ビルが

そびえ立つ光景が広がります。

そのうち5棟(数年後にはもう1棟増える予定)

は高さ200メートル超え。

1000年もの歴史を持つ神社が多くの

超高層ビルに囲まれて堂々と鎮座する姿は、

厳かであり、アンバランスな感じが

不思議な空間を映し出してくれます。



椎名町駅から麻布台ヒルズを

目指して国道1号線に向かえば

到着です。