starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

イアンマクドナルド逝去/KC Ⅰ 期メンバー


uDiscover Music Japanより抜粋

キング・クリムゾンとフォリナーの創設メンバー、イアン・マクドナルドが逝去。その功績を辿る



Ian McDonald - Photo: Steve Morley/Redferns

1960年代後半に誕生したキング・クリムゾン(King Crimson)や、70年代半ばに結成されたフォリナー(Foreigner)のオリジナル・メンバーだったイアン・マクドナルド(Ian McDonald)が、2022年2月9日に75歳で亡くなった。死因は公表されていないが、広報担当者によると、ニューヨークの自宅にて家族に囲まれて穏やかに息を引き取ったとのことだ。



イアン・マクドナルドは、2020年のSound & Vision誌のインタビューにて「自分が創設メンバーだった2つのバンド、キング・クリムゾンとフォリナーが今でも活動していることを誇りに思っています」と語っていた。



彼はこれらのグループの再結成や現在のグループへの参加にはほとんど興味がなかったが、2017年には、イアン・マクドナルドとフォリナーのオリジナル・シンガーであるルー・グラムやアル・グリーンウッドらとともにデビュー40周年記念公演で再結成を果たしていた。




イアン・マクドナルドは、キング・クリムゾンではキーボードと木管楽器を担当し、フォリナーの最初の3枚では、演奏のレパートリーにギターを加えていた。Sound & Visionに彼はこう語っている。


「1969年のクリムゾンのデビュー・アルバム『In the Court of the Crimson King』ではギターを全く弾いていなかったので、時々、私がギターを弾けることに驚かれることがあります。”The Court of the Crimson King”や “I Talk to the Wind “などの曲は実際にギターで作曲されたものですが、アルバムではギターを弾いていないので、ギターのクレジットはありません」



また、イアン・マクドナルドは2019年のUltimate Classic Rockのインタビューではこう振り返っている。


「”In The Court Of The Crimson King”を制作したとき、基本的に私は制作の最前線にいましたがレコードに入ったすべてのものが繰り返し聴くのに耐えられるように、できれば時の試練に耐えられるようなものを作ることができるのかを試してみたかったんです」


そしてキング・クリムゾンの始まりをこう振り返った。


「初期のライブは素晴らしかった。アレンジされた曲とグループの即興演奏が混在していたんです。ドノヴァンの曲“Get Thy Bearings”のカバーは、即興演奏のためのものでした……バンドはかなり冒険的で、時にはかなりワイルドになります。一方、“The Court of the Crimson King”や“Epitaph”などのアレンジは、より構造的なものでした。“Epitaph”について言えば、作曲、構成、制作、その他すべての面で、成功した曲の中で最も好きな曲だと思います」





イアン・マクドナルドは、デビュー・アルバム『In The Court Of The Crimson King』を最後にキング・クリムゾンを脱退したが、半世紀を経てもなお存続しているプログレッシブ・ロック・サウンドの確立に貢献したと考えられている。イアンは、2019年の『The Los Angeles Beat』のインタビューで、グループを脱退したことについてこう語っていた。


「以前はそのことについて後悔していて、少なくともセカンド・アルバムまでは残るべきだったと思っていました。でも、今は後悔していません。なぜなら、もし残っていたら、この瞬間までの私の人生はまったく違ったものになっていたでしょうから…あれからの展開にはとても満足しています」


同インタビューにて、クリムゾンのシリアスなイメージについては、イアンはこう振り返っていた。


「楽しかったですよ! とてつもないユーモアをもって行われました。キング・クリムゾンというと、なんだか怪しげなバンドというイメージがありますが、とても楽しかったですよ。私たちはただ笑っていました」


イアン・マクドナルドは、もうひとつの伝説的なバンドであるフォリナーの立ち上げにも貢献した人物だ。ギタリストのミック・ジョーンズ、シンガーのルー・グラム、ドラマーのデニス・エリオット、キーボーディストのアル・グリーンウッド、ベーシストのエド・ガリアルディに加え、イアン・マクドナルドがリズムギター、木管楽器、キーボードを担当。


イアンは1980年までフォリナーに在籍し、マルチプラチナムとなった『Foreigner』『Double Vision』『Head Games』の3枚で大成功を収めた。またヒット曲「Feels Like the First Time」「Cold As Ice」「Hot Blooded」「Double Vision」ではイアンの演奏を聴くことができ、また、バンドの深みのあるアルバム曲のいくつかはイアンが共同で作曲している。


また、クリムゾンとフォリナーの活動の合間に、T.レックスの「Get It On (Bang a Gong)」に参加するなど、イアンはセッションミュージシャンとしても活躍。近年では、イアン・マクドナルドは音楽活動を続けており、フロントマンのテッド・ザーコウスキーと一緒に、ハニー・ウエスト(Honey West)で演奏していた。




ローリングストーン誌より抜粋


1969年の象徴的なデビュー作『クリムゾン・キングの宮殿』で、イアンは作曲面でも大きく貢献。「21世紀のスキッツォイド・マン」でのサックス、「風に語りて」のフルート、「エピタフ」でのメロトロンと、マルチ奏者としての資質を発揮している。その後、同年に彼はクリムゾンのドラマーであるマイケル・ジャイルズと共にバンドを脱退、デュオ・プロジェクト「マクドナルド・アンド・ジャイルズ」を結成。1974年にはクリムゾンの名盤『レッド』にも参加している。



1977年には、ミック・ジョーンズとフォリナーを結成。3枚のアルバムで商業的成功を収めた。また、T.レックスの1971年の名盤『電気の武者』にサックス奏者として参加するなど、セッション・ミュージシャンとしても活躍。後年には21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドを結成し、クリムゾンのオリジナル・ラインナップの一部と再共演している。2013年からはハニー・ウエストというバンドに参加していた。



キングクリムゾンメンバー逝去


ボズバレル

死亡 2006年9月21日(2006-09-21)(60歳)


キングクリムゾン 

アルバム アイランズに参加

甘くて切ないボーカルは秀逸だった。





イアン・ウォレス

2007年2月22日に死去。

死因は食道ガン、享年60歳。







グレッグ レイク


キング・クリムゾンやエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)のメンバーだったボーカリスト、ベーシストのグレッグ・レイクが

2016年12月7日、がんで死去した。69歳だった。


レイクはプログレッシブ・ロック(またはプログロックとして知られている)の代表的ミュージシャンとして知られる。1968年にギタリストのロバート・フリップに誘われ、キング・クリムゾンに加入。69年のデビューアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』でボーカルとベースを担当し、『21世紀の精神異常者(現題:21世紀のスキッツォイド・マン)』では鮮烈な印象を残した。セカンドアルバム『ポセイドンのめざめ』ではボーカルとギターを担当している。





ジョンウェットン

2017年1月、かねてより罹患していた大腸癌の治療に専念するため、エイジアでの活動を一時休止することを表明したものの、間もなく病状が悪化し、同月31日に67歳で死去した。




キングクリムゾン、エイジアのメンバーであり

数多い功績を残している。



ゴードンハスケル

2020年10月19日逝去74歳


キング・クリムゾンのオリジナル・ヴォーカリストであるグレッグ・レイクが脱退したことを受けて、1970年にロバート・フリップはゴードン・ハスケルを誘っている。ゴードン・ハスケルは『ポセイドンのめざめ』に収録の“Cadence and Cascade”とサード・アルバム『リザード』の全編でベースとヴォーカルを担当している。


しかし、音楽性の違いから『リザード』のリリース後、ゴードン・ハスケルは脱退している。



キング・クリムゾンの

ドラマー/キーボード奏者、

ビル・リーフリンが、

2020年3月24日亡くなった。

まだ59歳だった。



◆ビル・リーフリン


ロバート・フリップは、

「シアトルにいる

トレイシー・リーフリンから、

ビル・リーフリンが

この世を飛び立ったと

電話があった。

18.50 Pacific, 18.50 UK 

その日は曇っていたが、

ビリーが飛び立つとき、

雲に切れ間が生じ、

15分ほど青い空が見えたという。

ブラザー・ビル、いい飛行を!

 君を知ったことで、

僕の人生は計り知れないほど

豊かになった」


と、訃報を伝えた。

ラヴィット辛麺ランキングトップ10

何気に朝の番組ラヴィットを、  

見ていたら

辛麺ランキングをしていたので、

拝見したよ。



2位 日清カップヌードル辛麺

3位 日清 ラ王 麻辣坦々麺

4位 日清とんがらし麺旨から海鮮チゲ

5位 農心 辛ラーメンキムチカップ

6位 農心 辛ラーメンカップ

7位 エースコックスーパーカップ

                            豚キムチラーメン

8位 明星 チャルメラカップ 宮崎辛麺

9位 エースコック 飲み干す一杯 宮崎辛麺

10位 東洋水産 

         マルちゃん製麺カップ 辛ニボ

1位

日清カップヌードル

パクチー香るトムヤムクン





あまりに料理家の人達が絶賛するので、

気になって買ってしまいました。



辛いのは、どちらかと言えば

苦手な方なので、あまり購入しないのですが、

トムヤムクンは

そんなに、辛そうな

感じがしなかったので、

購入に踏み切りました(笑)



OKストアやアオバでは売ってなかったので

マックスバリューやドラッグストアの

ウエルシア薬局等を探したらあったので、

ラッキーでした。




レモングラスが香る酸味

トムヤムペーストを、入れて本場の味に!

とありましたが.....

これは、ホントに旨かった!

あまりに美味しくて、

麺かあっと言う間に無くなってしまった。


麺が足りない!もっとこのスープを

楽しみたい‼️


って思わせる味でした。

この辛麺ランキングは

前にチャルメラの宮崎辛麺しか食べて

なくて、他は食してませんが、

1位なのは頷ける味でした。

しかも1位から4位まで

日清が占めているのは、

名実ともにこの業界トップなんだな~

と、改めて実感でした。


実際そんなに辛さを感じませんでしたよ。


と言いながら追加の実食です


次はいきなり10位の


マルちゃん製麺 辛にぼを食べました。



スープは粉末スープと液体スープの2種

とかやく。



お湯を入れて5分、かき混ぜ過ぎて

かやくが下に沈んで、見栄えが悪い....




さすがはマルちゃん製麺

麺がしっかりしていてツルツルだね



何度も言いますが、私は辛いのが

どちらかと言えば苦手です(笑)


でもそんな辛さは感じないし、煮干しだし

のスープは香りが鼻腔を抜けて、

味に深みを感じます。

ややこってりのスープに、このしっかり麺は

たしかな味わいで、美味しかった!

スープも全部飲み干せました。



でも、やはり1位のインパクトには

敵わないかな。


と、思いながら無謀にも2位の


日清カップヌードル辛麺に挑戦!



辛いの苦手な自分が、

1位と10位の

まろやかな辛さに安心して

食べてみた。



おお、見る限り真っ赤で辛そう....



滅茶苦茶辛い訳ではないが......

やはり、自分は辛いのが苦手でした。

辛さにまろやかさは、あるけれど

自分の許容範囲からちょっと

オーバーしてました。




ほんとの辛麺好きが食べたら

絶賛すべきシーンでしたね。


参りました、ちょっと

辛くて味が分かりませんでした。

唇もヒリヒリして熱かあるみたい。





調子に乗って6位の農心

辛ラーメンも買っていました。


1口目は普通にたべたけど、

2口3口4口とふっくら麺

を食べる内に、口の回りが

ヒリヒリしてきた~(笑)

あちい、辛い、


見た目は美味しそうなんだけど、

やはり辛いの駄目だったなあ....

無謀な私はスープも、飲めず(笑)





そして9位のエースコックの

宮崎辛麺。


見た目は美味しそう‼️


このスープを、いれて....

宮崎辛麺は思ったより

辛くなかったよ。

でも、スープは飲まなかった~



これは番外編

明星 トマト宮崎辛麺


かやく2種とスープ

たまごが、ふわとろで

美味しそう~

しかし、辛さレベル5だった。

残念ながら、トマトを感じる

暇がなかった(笑)

彼女たちと、セイブアプレイヤー

20歳の頃、夜中俺は付き合っていた彼女

七菜子に振られてしまった。


しかも七菜子は元カレと、

復縁していた。

そして既に身体の関係を持っていた。


一部始終は七菜子の

親友?の小百合の丁寧な

説明により知る事となった。


仕事の関係で、七菜子とは

1ヶ月に一回もまともに

会えない関係が、続いていた。


そんな最中、元カレからの

アプローチがあり

そうなる関係に時間はあまり

必要なかったらしい。


親友の小百合は大きな瞳を

輝かせて、


『七菜子との身体の関係は

どうだったの?』


と以前の俺たちの関係に興味深々

だった様だ。


『別に.....』


と言ったら、


『貴方と付き合ってる最中に

元カレとよりを戻してキスして

もうやりまくってたんだよ』


『洗いざらい言いなよ~』


『....七菜子のキスは情熱的で

素晴らしかったよ』


とつい、口を滑らしてしまった。


小百合は満面な笑みを浮かべて


『そうなの~?』


と嬉しそうに微笑んだ。


『1人になったし、夜中に海でも

見に行こうかな』


と言ったら、


『あたし、付き合ってあげるよ』


と小百合が、言った。


『おいおい、

俺と夜中に海なんてヤバいだろ?』


『お前に手を出すかもしれないよ(笑)』


『いいわよ、貴方と寝てあげても』


と、また、悪戯に微笑んだ。


それは、ここだけの話で

実現はしなかった....

まあ、俺をからかったんだろう。





独り身になった俺を心配して

くれた、セックスフレンドの

佐由美は、友だちの裕子を

紹介してあげると、言った。


佐由美と彼と、俺と3人で

裕子に、会った。

まあ、何度か見かけた事は

あったが、正式には

初めてだった。


裕子は細身で、顔は地味だが

語り口は、1つ芯が通った

しっかりした、感じだった。


彼女に、熱をあげたのは

俺ではなく、佐由美の彼だった。


理由をつけては裕子の

勤める喫茶店に佐由美の彼と

通っていた。


2人は話しも合って、

俺はそんな2人を

黙って見ているしかなかった。

俺は裕子の喫茶店に

足が遠のき.....

行かなくなっていた。


佐由美も彼の気持ちに

気づいたが


どうする事も出来ずにいた。


そして遂に


佐由美の友だちの裕子に

本気で、惚れてしまっていた。



喫茶店勤務の彼女はエプロンが

良く似合う、ちょっと姉御肌

な感じだった。

佐由美の彼は裕子を誘い

何度目かのデートで

彼女にキスをしたら、


『お願い!もっと強くだきしめて』


と震える声で懇願されて、

知り合いは、ノックアウト

されてしまった。

そして、既に心が離れた

佐由美に

完全なる、別れを告げた。

佐由美は泣きながら、

嫌だと言ったが、

裕子に心奪われた佐由美の彼には

もう、その言葉は届かなかった.......


そんな失意の佐由美から、


『逢いたい.....』


と、言われて


『別れたばかりで、大丈夫?』


と、聞いたら


『忘れさせて...』


と、言われた。


『うん、分かったよ

忘れさせてあげるよ』


と、俺は言った。


佐由美は、また震える声で、


『めちゃくちゃにして......』


と囁いた。


そして激しく愛しあいながら、


彼女は泣いていた。


次から次へと、涙が溢れて来ていた。


激しければ激しいほど、


佐由美の嗚咽は悲しく響いた...


涙で顔がグショグショで、


俺は彼女を優しく抱き締めていた。


『貴方に紹介したばかりに

こんな事になるなんて、

バチが当たったのね...』


『ごめんな、俺が紹介されたのに

裕子とは、全く合わなかったよ』



『これは運命なんだね.....』


佐由美がポツリと、言った。





それから、佐由美とは何度か会って


愛し合ったが、


お互いに対する愛情と


言うのとは違っていた。



ある日佐由美は


“お見合い“


をする事になり俺とはもう、


『会わない』


と言った..


『え?そんな事言うなよ....』


と言ったが決心は固かった。


彼女は親が決めた、家同士の


お見合いを選んだのだった。


『お前がお見合いだなんて、


恋する気になれば


いくらでも、出来るだろう?』


と言ったが、


『家同士が決めた事だから』


と、似合わない言葉だった。


今どき、家同士の決めたお見合い

なんて、存在するんだな.....


と驚きもあった。



確かにこの時代、1980年代


親の決めたお見合いに、素直に


従い結婚する娘たちは以外に


あったと思う.....


とにかく、俺は彼女の


七菜子にも、佐由美にも振られた。




佐由美の彼は、結局


裕子とは上手く行かず


手の平を返す様に


すぐに振られてしまった。


七菜子も、元カレと長続きせずに

他の男にまた乗り換えたと、

小百合が教えてくれた。

七菜子は何度かそれを繰り返して

髪も腰まで長くなり、イメージが

変わっていた。

数年後に、年下のスラリとした

男の子と結婚したと、小百合か

教えてくれたよ。



佐由美はお見合い相手と、

結婚して、愛のない結婚生活を

送りながらも、子どもを2人生んで

見た目は堅実な生活を、送っていた。

しかし出会い系で、男を見つけて自慢話を

していると巷で、有名になっていた。





この時期には

DURAN DURANの


セイブ ア プレイヤー


を、良く聞いてました。

この、曲を聞くと心が落ち着きましたね


(以下ネットより引用)



Duran Duran の


"Save A Prayer"


は彼らのセカンドアルバム


"Rio"


からシングルカットされて

1982年に全英2位の

大ヒットとなりました。

アメリカでは当初シングル化

されなかったのですが、

PVが人気を博したことで、

サードアルバム


"Seven And The Ragged Tiger"


発表後の1985年

にシングルとしてリリースされて

最高位16位を記録しました。


 ここで「save a prayer」とは

「祈りの言葉はとっておいて

(今は口にしないで)」

という意味なそうです。


セイブ ア プレイヤー歌詞


メインストリートの隅で

壁のそばに立っている僕を君は見た

ライトが君の窓に光っているんだ

一人でいるのはそれほど楽しくない

君の視線はスリルを探しているんだ

何が必要なのか君はわかってる

どこへ行くべきかも


僕のために祈らないで

祈りはこれから来る

朝まで取っておいて

祈りの言葉は言わないで

朝まで取っておいて..........