starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

イアンウォレス

(全てネツトより抜粋)


イアン・ウォレス




ドラマーのイアン・ウォレスが、


2007年2月22日に死去。


死因は食道ガン、享年60歳。


 

イアンはクリムゾンが1971年に発表した4作目


『アイランズ』



(写真)からバンドに加入。

翌72年にリリースされたライヴ・アルバム


『アースバウンド』

でもプレイしています。




クリムゾン以外でもボブ・ディランや

ボニー・レイット、キース・エマーソンなど、

多数の有名ミュージシャンの

作品やツアーにおいて、

その腕を振るっていました。また、

後年にはクリムゾンの初期メンバーが

中心となって始動した、


 2006年9月にはボズ・バレルが死去しており、

『アイランズ』期にクリムゾンでプレイしていたリズム隊がともに亡くなってしまったことになります。




キング・クリムゾン時代 編集

1970年末、プログレッシブ・ロック・バンドの

キング・クリムゾンがゴードン・ハスケルの

脱退に伴ってボーカリストの

オーディションを行っていると

聞きつけると、これに応募。

ボーカリストとしては不合格となるが、

ドラマーとしての技量を

ロバート・フリップに見込まれ、

3代目のドラマーとしてクリムゾンに

加入することになった

(ウォーレスを紹介した

キース・エマーソン邸宅に、

先代ドラマーのアンディ・マカロックと

共に居候していた関係から、

オーディションへ参加した)。




キング・クリムゾン脱退の背景 編集



しかし、神秘主義や霊的な世界観に

インスピレーションを求め続ける

フリップに対し、他の3人のミュージシャン

(ウォーレス、バレル、コリンズ)

は米国でソウルやブルースの影響をより

強く受け、音楽の方向性を巡って溝

を深めていく。そもそもフリップは、

同ツアーのリハーサル時点から

他の3人との意見の相違から

一旦解散を宣言していたが、

契約を盾に取った所属事務所に

押し切られる形で、4月までのツアー

日程を承諾した経緯があった。



3人はツアーの最中もフリップとの

関係修復とバンド存続を希望したが

受理されず、同時期にツアーを

行っていたブリティッシュ・

ブルース・ロックの巨頭・

アレクシス・コーナーに接近していった。

ウォーレスは各地でコーナーのステージに

臨時参加を続け、フリップを悩ませたという。

1972年、遂にクリムゾンは空中分解し、

3人は揃ってコーナーと合流した上で

「スネイプ」を結成。

翌年には1stアルバム

『アクシデンタリー・ボーン・

イン・ニュー・オーリンズ』を発表した。


ボブ・ディランらとの活動 編集

ウォーレスはスネイプで2枚のアルバムと

アレクシス・コーナー名義の

アルバム1枚に参加後、

アルヴィン・リーのカンパニーに

参加するも1975年に脱退。

その後はセッション・ドラマーとしての

性格を再び強め、同年には

ピーター・フランプトンのバックに参加。

1978年にはボブ・ディランのバンドに招かれ

日本ツアーにも同行した。


晩年 編集

2003年、再び元キング・クリムゾンの

ドラマーであるマイケル・ジャイルズの

後を受ける形で、


「21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド」に加入。



また生涯唯一のソロ・アルバム

『ハピネス・ウィズ・ミニマル・サイド・エフェクツ』を発表した。



2005年には

「クリムゾン・ジャズ・トリオ」を結成し、

『キング・クリムゾン・ソング・ブック vol.1』(2005年)、『同 vol.2』

(2009年)を、それぞれリリースしている。