starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

狛犬巡り⑦ 川崎新田神社②

川崎駅よりチネチッタ通りを抜けて

15号線の産業道路を横切って

真っ直ぐ歩きます。

行き先は"新田神社"です。

先日参拝した

大田区矢口の新田神社の

御祭神が新田義興でした。

もう1つ新田神社が存在し

そこが川崎に有ると言うので

散策中。

しばらく歩いて....

到着しました‼️

川崎の新田神社、ここの

御祭神は新田義貞公です。

武蔵新田の新田義興の父親に当たります。


⭕️新田神社の由緒


新田神社は、新田義貞討死の後

その家臣亘新左衛門源早勝が

義貞公差添の名剣と七ツ入子の

名鏡及び錦の陣羽織の三種の品を

当地に持ち帰り、当地の里正がこれら

三品を埋納して創祀、村内の鎮守社として

崇敬したといいます。

明治6年村社に列格、明治末年には

渡田村内にあった、神明社(太神宮)

姥ヶ崎弁才天社(旧地鋼管通三丁目)

亘新左衛門源早勝を祀っていた

御霊社を合祀したといいます。

では一礼して中を通らせて

頂きます。

ここを守る狛犬が見えて来ました。

社も厳かな感じで、参拝する方も

何人かみえました。

子供と一緒の狛犬像、阿吽の

阿像です。


こちらは毬の上に手を置いた

狛犬、阿吽の吽像になります。

どちらもなかなか渋い表情を

しています。

岡崎タイプとは少し赴きが違う

感じがしますが、どうでしょう?


子持ちと毬を持つ

一般的な狛犬の雰囲気ですね。





灯籠にも鹿の装飾など

綺麗に彫られていますね。

新田神社、参拝致します.....


横からの新田神社。

ここのケヤキ、イチョウを

保存樹林に指定しているそうです。



神社の左手には

新田義貞公の像があります。

塀に守られて奥に鎮座しております。

⭕️新田一族について


新田氏(にったし)は、武家・

華族だった日本の氏族。清和源氏の

一流河内源氏の源義家の孫新田義重を

祖とする。上野国新田荘を本貫とした。


鎌倉時代末の当主

新田義貞は

後醍醐天皇に従い鎌倉幕府倒幕に功績を上げ

南北朝時代にも南朝方武将として活躍したが

流れに翻弄された新田義貞も、

窮地に陥っていた後醍醐軍のなかで

勢力を蓄えるために

越前国を目指していました。


ですが実際に北陸に行ってみると

敵方の守護・斯波高経が勢力を伸ばしている

状況下にあり、苦戦を強いられてしまいます。


最終的には越前・藤島城にいる高経との

戦いで新田義貞は戦死しました。


わざわざ少数の手勢で城の搦め手から

攻めようとして、配置されていた

敵の弓隊と遭遇してしまい、

背中から撃ち抜かれてしまうのです....



⭕️勾当内侍(こうとうのないし)


攻めをみごと成し遂げた義貞は京に上り

後醍醐天皇をはじめとする都の人々に

拍手喝采で迎えられました。

そして、そのまま皇居を守る武者所の

長官として京で日々をおくることになります。


そんな平穏な日々の中、ある晩秋の夜に

義貞が宮中の警護にあたっているとき

ふと、艶やかな琴の音色を耳にします。


そこには、スダレを巻いた縁側で

一人琴を奏でている

勾当内侍(こうとうのないし)がいました。


その彼女の姿にすかっり魅了された義貞は、

一晩中、後宮の庭に呆然と立ち尽くす

ありさまだったといいます。


「華やかによそわれた顔は、

秋の雲間の月が河面の水を照らすかと思われた」と、「太平記」では内侍の容姿をこのように語っているんですね。


また、彼女の父である経尹(つねただ)は

世尊寺流の名に恥じない能筆であり、

内侍の実家は名筆・藤原行成の血統を継いだ

名家の一族でもありました。


その内侍と義貞が互いに惹かれ

合っているのは、宮中の人々誰もが

取って分かるようなさまでしたが、

すでに内侍は後醍醐帝の後宮の

一人だったのです。


でも、後醍醐天皇は18人の皇妃に

36人の子を生ませた帝です。

内侍ひとりに強い執着心を持っているとは

とても考えられませんでした。


二人の思いに気付いていた後醍醐帝は、

その仲が上手くいくようにさりげなく

身を引いたようです。


後から思えば短くはかない幸せな

日々でしたが、二人にとっては、

帝の粋なはからいによって得た何よりも

大切な時間だったのです。


北陸へ向かう際に、勾当内侍は

琵琶湖岸の堅田まではともをし、

そこで一人、義貞の帰りを待っていました。


ですが、しばらくしてそこに届いたのは

義貞の悲報と、「都へいつか・・・」

と書き残された彼の手紙でした。


勾当内侍は二人の思い出を胸に、

髪を下ろして尼となり、嵯峨野の奥にある

往生院にこもったのです。


新田義貞にはこんなロマンスが

あったのですね......

ここには亘新左衛門の墓が

あります。


亘新左衛門尉早勝とは?


粟生左衛門尉忠良、

畑六郎左衛門尉時能、

篠塚伊賀守重廣と

共に新田義貞公の勇猛な家臣四天王の

一人でした。 渡田、小田地区には

四天王の末えいと伝える家系があり、

また当地区の急速な開発前には

四天王縁りの塚もありました。



神社の右手には稲荷神社も

あります。

ここにも、力石が有りました‼️

力自慢の象徴だったんですね...

腰を悪くしそう(笑)

横のブロック塀には

猫がこちらを眺めていました。

奥にも黒猫が、一匹いますね。

微動だにせずこちらに眼を反らさずに

じっと見つめています。

もう一匹は逃げましたが

この黒猫は視線を外さないで

いつまでも見てましたよ~

石碑を撮ったら緑の龍神線が

右側の太いぼんやりした線から

左側の細いはっきりした線に

変化する様が映りちょっと

驚きました。


🛑龍神様が緑の帯や緑の光となって

現れることがあります。


一瞬「カメラがおかしくなったのかな?」

と思ってしまいそうにもなりますが、

緑色で流線状をした光は龍神様の

可能性が高いです。


このような写真は、龍神様に

守られている方や龍神様とゆかりの

深い場所で撮ることができます。


ですが、なかなかはっきりとした状態で

写るのは珍しいそう。

とネットで解説されてました。


川崎で2回目なので

この辺は龍神様のゆかりの地

なのでしょうか?

右側の鉄塔に女性みたいな顔に

何となく見えるのが気になります

が、これに関して霊能者さんは

何も言ってなかったので気のせいかな?

これは龍神線になる

1つ前の写真です。

緑色の線は細く見えますが

そのうえに太く白い線があるのが

見えるのが興味深いです。



川崎 新田神社は

南武線の川崎新町からなら10分

JR川崎駅からなので25分くらい

でしょうか?