starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

狛犬巡り(23)上野 花園神社& 五条天神社

上野公園内にある

花園神社に来ました。

花園稲荷神社の表記もあります。


年代:宝暦3年(1753)

材質:石造

型式:はじめ型(尾立ち)

石工者 不明


すっかり顔の欠けた阿形の

狛犬でした。

滑らかな身体の曲線ですが、細かい

流れる様な繊細な彫りを感じます。

狛犬クラブの画像です。


こちらは吽形です。

爪もしっかり土台を噛んでます。

一見すると表情が人間ぽく感じます。

尾がピンとたち

瓜形です。


右目は日光の関係で無い様に

見えるのか....陥没してるのか

謎ですが痛ましく見えます。

2016年撮影されたネット画像ですが

右目はしっかりしています。


階段を下り、参道には鳥居が

たくさんあります。

上野、花園稲荷神社 花園稲荷神社の

由緒は定かではないが、太田道灌が京都の

東寺の門前から勧請したという説などがある。

社伝では、1654(承応3年)に

天海の弟子の晃海が社を再建して上野の

山の守護神としたのだという。

石窟の上にあったことから

穴稲荷と呼ばれていた


彰義隊が新政府軍と戦った上野戦争では、

最後の激戦となった「穴稲荷門の戦」

が行われた。

明治6年(1873)岩堀数馬、伊藤伊兵衛ら

篤志家たちによって再興され、

花園稲荷と改称された。大正13年(1924)

五條天神社が隣地に遷座、

これを機に現在の南向きの社殿が造営され、

境内の景観が一新した。

社殿手前の東側が旧社殿の跡で、

今も「お穴様」が残っている。

「お穴様」の左奥にある祠は弥左衛門狐と

呼ばれ、寛永寺創建の際、天海僧正が

忍岡の狐がすみかを失ったことを哀れんで

一洞を作り、その上に祠を建てて

祀ったものという。

続いて.....

花園稲荷神社と地続きになっている

五条天神社です。



⭕️由緒


社伝によれば、日本武尊が東征のおりに

大己貴命と少彦名命を上野忍が岡に

祀ったものとされ、尭恵の『北国紀行』

にも文明18年(1486年)1月に

「五條天神」の記述がある

少なくとも室町時代中期には上野山に

鎮座していることは明らかだが、

寛永寺の拡張などで社地は何度か

移転しており[[3]、江戸時代初期までは

天神山上(現在の上野公園内摺鉢山上、

清水観音堂のあたり、

その後寛永寺黒門(旧本坊表門)

(現在の上野公園南端)を経て、

元禄10年(1697年)に別当で

連歌師の瀬川屋敷(現在のアメヤ横丁入口)

へ遷座

1928年(昭和3年)9月22日に創祀の地に

最も近い現在地に遷座された。

また相殿の菅原道真公は、江戸時代に入り

寛永18年(1641年)、社名に「天神」

とあるため菅原道真公の像がなくてはと、

天海および公海が開眼供養を修して祀され、

俗に下谷天満宮(したやてんまんぐう)

とも呼ばれて歌の道の祖神として

信仰されたという



鳥居付近に鎮座する

狛犬、阿形です。


尾流れ、子連れ玉取り

大正十五年(1926年)八月建立

石工・合田藤八

こちらは吽形

どちらも顔が上手く撮れなかったので

狛犬クラブから画像拝借しました。

阿形です。

巻き毛な口元がしっかりしてます。


吽形は感情を、抑えた寡黙な

表情に見えます。


こちらが社殿になりますが、

囲いがしてあり近くには

行けない状態になっています。

こちらはブロンズ製の

護国型の狛犬です。

阿形

吽形



五条天神社と花園稲荷神社は

地続きですね。

上野駅より

公園内にあります。