starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

狛犬巡り(21) 神田明神

賑やかな秋葉原駅より

徒歩10

神田神社到着です。

東京を代表する神社、

知名度トップクラスの有名神社と

っていいでしょう。


東京十社の一つです。


御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)

、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、

して平将門です。


神田神社.....神田明神


東京の中心ー

神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、

旧神田市場、豊洲魚市場、

108町会の氏神様です。

参道の脇に店の狸がおります。

タヌキさん、またね~


参道から正面門に向かいます。

随神門と言うそうです。

社伝によると、神田明神は730年に

大己貴命の子孫・真神田臣により

現在の東京都千代田区に創建されました。

戦国時代の間は、有名な武士の太田道灌や

北条氏綱、さらには徳川家康も神田明神へ

参拝者として祈願していました。


特に徳川家康は深く信仰しており、

1600年の関ヶ原の戦いの際には、

この神田明神でご祈祷を行いました。

そして徳川家康は関ヶ原の戦いで

勝利し、それ以降、神田明神は徳川家に

とって縁起の良い神社となりました。










随神門の中の馬の彫刻は

躍動感があり迫力がありますね。

ガラス張りの為に景色が反射して

しっかり映りませんでした。

(画像拝借)

本来はこんな感じですね。

こちらも同様でした。

(画像拝借)

動きだしそうな勢いですね。



⭕️狛犬

昭和8年5月

氏子有志により奉献された。

造形については、動物彫刻を得意とした

池田勇八が原型を作成しているので、

よりリアルで精悍な表情をしている。

こちらは阿形になります。

こちらは吽形になります。

阿形、吽形逆になってます。

左側が阿形、右側が吽形です。

蹲踞姿勢の様で、前足開いてる

で、少し違う様な....でも

護国型になるのでしょうか...

正面を、向いている狛犬は

珍しいのだそうです。

確かに殆ど横向きですよね。

阿吽の呼吸を合わせる為に、

常にタイミングを図って

いるのでしょうか...

こちらは正面向いてるので

タイプが違うのでしょうね。

尾は太くピンと立っています。




当日結婚式の行列があり

とても厳かで神聖な印象を受けて

ました。

末永く幸せに!と祈って

しまいます。

阿形も

祝福してる様ですよ~

神社の左側には

なんと馬がいるのですよ。

あかりちゃんと言うらしいです!

平成22年5月15日、

神州佐久高原生まれ、

あし毛の牝馬。

神馬・神幸号


「明(あかり)」



名前のあかりは平和な世を願った

名前だそうで、神田明神の「明」

の字をいただいたそう。

あかりちゃんと呼ばれ、

参拝者のかたたちに親しまれて

いるのだそうですよ~。


あかりちゃんの馬舎の左側には


魚河岸水神社 がありました。


水神社の歴史は古く、

天正18年(1590)徳川家康公の

江戸入府とともに移住してきた

日本橋魚市場の開祖・森孫右衛門ら

摂津国の佃村・大和田村の漁師たちが、

大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して

「弥都波能売命」を祀った

「大市場交易神」がその始まり

といわれています。


明治34年には神田神社の境内に

「水神社」本殿が建立され、

日本橋魚市場は関東大震災以後に

築地に移転し、現在地に遥拝所が

建立されました

この狛犬たちは黒く

煤けていますが、火災で残ったとか

情報が無いので..

分かりません。

でも幾多の苦難を乗り越えたの

だなと姿を見れば感じますね....

尾流れタイプは石なのに繊細さと

柔らかさを感じるので好きですよ~










隣の社にも

狛犬が居りますね。

こちらは岡崎タイプです。

阿形は蹴鞠、吽形は子、

それぞれ前足を置いています。






⭕️獅子山

千代田区指定文化財

1991年(平成3年)4月1日指定


この石獅子は、区内に残る数少ない

江戸期の石造物のひとつです。

享保期(1716~1735年)に、

下野(現在の栃木県)

名工・石切藤兵衛が作ったものと

いわれています。

神田明神』のほかに「石切藤兵衛」

が手掛けたとされる『獅子山』が


「大山不動尊」(神奈川県伊勢原市)

「成田山新勝寺」(千葉県成田市)

に奉納されており、

この3箇所の『獅子山』をあわせて

「坂東三獅子」と称されています。

1862年(文久2年)11月に

両替屋仲間が石を積んで神田神社へ

奉納したという記録があります。

3頭の石獅子は、

親獅子が谷底へ突き落した

子獅子を見る構図になっています。

このうち江戸期以来のものは夫婦2頭のみで、

子獅子と獅子山は1923年(大正12年)

の関東大震災で失われ、

1989年(平成元年)に天皇即位を記念して

再建されました。

(注意)

千代田区指定文化財は獅子の夫婦2頭


確かに子獅子が色違いで明らかに

石が違い、彫りも別物です。

関東大震災で失われたとは

何とも無念です。


力石がありましたね、江戸の力自慢

が、担いで歩いたのでしょうね。



⭕️大己貴命

 (おおなむちのみこと)

だいこく様。縁結びの神様。

天平2年(730)

随神門過ぎてすぐ左側に

鎮座しております。

国土開発、殖産、医薬・医療に

大きな力を発揮され、国土経営、

夫婦和合、縁結びの神様として

崇敬されています。

また祖霊のいらっしゃる世界・

幽冥(かくりよ)を守護する神とも

言われています。

大国主命(おおくにぬしのみこと)

という別名もお持ちで、

島根県の古社・出雲大社の

ご祭神でもございます。

国土経営・夫婦和合・

縁結びの神様としての

ご神徳があります。



⭕️実は心配事が一つありました。

バスツアーで成田山新勝寺に

行ったばかりなのです。

神田明神と成田山新勝寺の

関係について深く考えた事はなかった

のですが、行った後にまさか....

と思い調べたら


こんな記事が、あります。

神田明神の正体は平将門です。

主神は大黒様と恵比寿様ということに

表向きなっていますが、

両方とも神道の神様ではありません。

対して成田山新勝寺はそもそもが

平将門を調伏するために建てられた寺です。


(平将門、画像)


そこで成田山を参拝した人が

神田明神を参拝すると、神田明神の

祭神である平将門を苦しめるというので

良くないと昔から言われています。

お守りとか購入せずにただ行くだけなら

問題無いとも言われているのですが

やはり余り気分の、良い物ではありません。


しかし神田明神でグリーンの龍人の

写真があるのを見つけました。


写真を撮ったときに緑色の光の線が写っている場合は、撮影した場所が精霊に守られていることを示しています。

特に神社やお寺、自然の多い場所などで現れることが多いです。


また、緑色の光が人物に対して線状に

降り注いでいる場合は、その人物の

魂が成長していることを表していると

考えられます。


そして、撮影した写真の中を横切るように

緑色の光が写っている場合は、

龍神が通ったサインです。


龍神を写真に納めると金運や仕事運、

恋愛運、結婚運などが上昇すると

言われているため、その写真は大切に

保管しておくことをおすすめします。

と....ネットにあります。


成田山新勝寺に行った私に対して

ここ神田明神の精霊は温かく迎えて

くれたと理解して

良かったのでしょうか.....

神田明神に温かく迎えて頂いたんだ

な....と思い

将門の首塚にも参拝したくなりました。



冒頭でもありましたが

東京十社は以下の通りです。

十社の一つ神田神社参拝致しました。

残り9つです。


 「王子神社」

 「根津神社」

 「白山神社」

「神田神社」⭕️

 「日枝神社」

 「氷川神社」

 「亀戸天神社」

 「富岡八幡宮」

 「芝大神宮」

 「品川神社」