starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

狛犬巡り⑭ 羽田神社

羽田神社にやって参りました。

左手が産業道路になりますが

 真っ直ぐ進むと川崎大師橋に

なります。




文政十一年(1828年)十月奉納 

石工名不詳とあります。

台座に狛犬が生き生きと

躍動する姿が描かれています。


阿吽の阿像




こちらも台座に狛犬の姿が描かれて

います。

阿吽の吽像です。


尾は流れタイプです。




羽田神社は800年前の鎌倉時代に

羽田浦の水軍で領主であった行方与次郎が

「牛頭天王」を祀ったのがその起こりです。

手水舎には水の守護神である「龍」を

よく見かけますが、 当社は牛頭天王に

あやかり牛を用いております。


牛頭天王(スサノオノミコト)信仰と病気平癒

牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神で、

神道の「スサノオノミコト」と同一視されます。


昔、疫病や祟りを恐れた人々が悪いものを

除ける神として牛頭天王(スサノオノミコト)

を祀る信仰が広まりました。

一説によると疫病は異国からのものと捉え、

異国伝来の疫病神である牛頭天王を

祀るようになったと考えられています。


文久元年(1861年)に疱瘡(天然痘)が蔓延。時の将軍・徳川家定が牛頭天王社(現羽田神社)に病気平癒祈願に参詣し治癒した故事はその信仰の現れといえます。


⭕️由緒


羽田総鎮守・羽田神社は、

羽田の「氏神様」として羽田全域から

現羽田空港まで広い氏子区域を有します。

特に航空会社各社の崇敬の念も篤く、

正月から年間を通じて運航安全・

航空安全祈願の参詣があります。

また、文久元年(1861年)に

疱瘡(天然痘)が蔓延。

将軍・徳川家定が病気平癒祈願に

参詣し治癒した故事により、

多くの参拝者が病気平癒を

祈願しています。

御祭神は「須佐之男命(すさのおのみこと)」

と「稲田姫命(いなだひめのみこと)」の

二柱・ご夫婦の神様をお祀りしています。

「えんむすび」「勝負事」の

ご神徳でも知られています。




その由来は、約800年前の鎌倉時代、

羽田浦の水軍で領主だった行方与次郎

(なめかたよじろう)が

牛頭天王(ごずてんのう)を祀った

事からとされ、今日でも羽田神社を

「てんのうさん」と親しみを込めて

呼ぶ人がいるのは、その名残りです。

徳川時代には、徳川家、島津家、

藤堂家などに厚く信仰されました。

明治元年(1869年)、自性院境内に

祀られていた牛頭天王社は八雲神社

(やぐもじんじゃ)として独立、

明治40年に羽田神社と改称、

現在に至ります。

昭和63年5月新社殿が竣工、

平成18年3月・令和元年7月

2度のお塗り替え工事を完工。

尚一層の神慮が深まり霊験あらたかな

御社として氏子を見守っています。





明治初年に造られた

「羽田富士」も見どころの一つ。

富士山に憧れた当時の人々がその

姿を模倣して造った築山で、

大田区文化財に指定されています。

近年には一部崩落が見られ登拝禁止と

なっていましたが、令和2年2月

富士塚修築工事が完工、

再び登拝が可能となりました。





羽田富士塚の狛犬は

年代、石工名、共不明です。








羽田富士塚から本殿後ろを

回りながら左手に、各社殿も

あります。


日枝神社もあります。


狛犬も古い物ですが

こちらも年代、石工不明です。





こちらは

羽田稲荷神社です。

綺麗に袈裟の様な衣装を

身に纏い得意顔に見えますね。

では羽田神社

後にします。


京急空港線

大鳥居駅から

徒歩15分くらいでしょうか..