starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

狛犬巡り⑯目黒不動尊②

目黒不動尊、やっと男坂を登り

上に向かいます‼️

階段が緑の木々に覆われて

木洩れ日が射す

素敵な時間ですね~

では矢ゆっくりと、

進みましょう。

階段を登り切り

最初に目にするのが、この

"都内最古"と言われるこの狛犬です。


最古と言われているのに

この彫りの鮮明さと

どっしりとした安定感は

凄いの一言です。


江戸はじめ

と言うタイプらしいです。

承応3年・1654年

寄進者■亀岡久兵衛正俊


阿吽の 吽形です。

こちらは口が開いてるので

阿吽の阿形です。

都内最古の狛犬がこうやって

堂々と鎮守しているのは

とても凄い事だと、思います。

お百度石もありました。


実はこの江戸はじめには

兄弟がいるとの記事を

見つけました。


この後に立ち寄る

大円寺と言うお寺の奥に

不思議な物を発見したのです

何と頭部しかない

狛犬の半面です。

何故、頭部だけなんだろう?

と不思議でなりませんでした。

そして無造作に岩の上に置かれています。

なんと胴体は目黒不動尊(瀧泉寺)の

独鈷の滝付近にあるそうです。

都内最古(承応3年)の狛犬であり、

明治期に目黒不動の境内で破損の激しい

この狛犬が処分されようとした際、

あわれに思って吽形の頭部のみを

引き取ったものらしいです。

なんと!

吽形が二体作られていたのですね..


日本参道狛犬研究会の

報告によれば、その首無し胴体の胸には

「奉献 不動尊前/江戸中橋南槇町亀岡久兵衛」

左足に「承応三年」

右足に「三月廿二日」

と彫られているのだそうです。

(画像拝借しました)

亀岡久兵衛は、承応三年三月、

太子講の日にそっくりな獅子狛犬

2対を目黒不動尊に奉納したのでした。

(画像拝借しました)

なぜ、そんな手間のかかることをしたのか。

手掛かりは、石質と亀岡家の役職に

あると推理します。

2対の狛犬は、そのフォルムは

そっくりながら、

坂上狛犬は、"小松石"

大円寺狛犬は"伊那石"

と石材が異なることが

報告されています。

なので異なる石を使い、その出来映えを

競争させたのでは、ないか?

と推測されているとの事です。

長年の保存状態、もうひとつの石の

劣化により

淘汰され、棄てられたのでは

ないかと....


それが、頭部だけ大円寺に奉納

されているだなんて、歴史と

ノスタルジーを感じてしまいます....


(独鈷の滝、上部左下に阿形のはじめ型の

狛犬が置かれている写真。)

(画像拝借しました)


その大円寺 狛犬頭部の場所は奥に

ひっそりとあったのですが

引き込まれる様に目に留まりました。

そこにあんなストーリー

があったなんて日本参道研究会

素晴らしい‼️と感じています。


もしかしたらこんな感じで

棄てられていたかも....

目に付く事もなく

闇に葬られていたでしょう....

では目黒不動尊本堂に

参拝致します。

一礼して鳥居を潜り

参拝致しました。

目黒不動尊は、太平洋戦争の際に

空襲に遭い、

本堂や仁王門も焼失しています。

現在の門は再建されたもの。

とありました。

鎖に繋がれた奥に像が3体ありました。

これは...また

不動明王なのですね...

不動明王の隣には..

微笑観世音菩薩、そこに

白い光が射して明るい気持ちに

なりました。


本堂左手に狛犬が居ました。

口を開けた阿形の狛犬です。

天保11年(1841年)制作と言う事です。

対になる吽形の狛犬は

なんと大きさの違う小ぶりな

狛犬が居りました。

阿形は尾が巻いていますが....

吽形は尾が立ってます。

しかも岡崎型なので

新しい狛犬と言う事になります。

それは確かに別の狛犬の吽形でした。

石の素材も、大きさも、尾の型も

左右対称.....

良く見ると右側、阿形は土台から

右足が無残にも欠損しています。

恐らくですが、吽形は完全に破損

してしまい、同じ物が作れず

岡崎型となったのでは?と思いましたが


"台石がひどく破損しているのは、

太平洋戦争の空爆で被災したもの"

とありました。

こちらも空爆で破壊されていたのですね。


最初のはじめ型のもう1体達は

何故破損したのでしょうか?

そちらも戦争での空爆に依るもの

だったのでしょうか?

他に情報が無いので不明です。


この狛犬達は

微笑観音菩薩の前ではなく

後所に鎮座して

おりました。

痛みがあるので後方に下げられた

のでしょうか...


(画像拝借しました)

そして左手には

愛染明王が居ります。

恋の成就に人気なそうです。

そして左手の階段を登り

4体の武神が隅を守って居りました。


調べました。

帝釈天の配下で仏教世界を護る神様です。

東方を護る持国天(じこくてん)

南方を護る増長天(ぞうちょうてん)

西方を護る広目天(こうもくてん)

北方を護る多聞天(たもんてん)

からなります。 

多聞天のみ単独で祀られることがあり、

単独では毘沙門天(びしゃもんてん)

と呼ばれています。


生前の釈迦の教えを聞いており、

釈迦から自分が亡くなった後に

仏法を守護するように託されたと

いわれています。


⭕️西方を護る広目天(こうもくてん)

⭕️南方を護る増長天(ぞうちょうてん)

⭕️北方を護る多聞天(たもんてん)

⭕️東方を護る持国天(じこくてん)


そしてこの四天王の中心に位置するのが

大日如来なのですね。

お香の良い香りが回りを包んで

おりました。


⭕️銅造大日如来坐像は、本堂の裏にあり

蓮華座に結跏趺座(けっかふざ)

している像で、

高さは385センチメートル、

坐高は281.5センチメートル、

頭の長さは121センチメートルです。

宝髪(ほうはつ)、頭部、体躯、両腕、

膝など十数の部分に分けて鋳造し

組み合わせた、吹き寄せという技法で

制作されています。体躯に比べ頭部を大きく造るのは大仏像に共通し、この像も

それにならっています。


台座部分に刻銘があり、天和(てんな)

3年(1683年)に鋳物師(いもじ)

横山半右衛門尉正重(よこやまはんえもんのじょうまさしげ)により造られた。


江戸時代には堂舎に納められ、

その後は長らく露座(ろざ)でしたが、

現在は覆屋根(おおいやね)が

設けられています。

とありました。






地主神(大行事権現)


大本堂の真裏の大日如来のさらに

真裏に地主神です。



石標「地主神 大行事権現」

とあります。

地主神は境内地を守護し、

大行事権現が祀られています。

境外の裏から見ると大きな石塔と

狛犬が座します

裏側に回ってみました。

白いフェンスが全て遮断してる

様で隔たりを感じてしまいました。

狛犬は綺麗に

彩られた、岡崎型の狛犬達でした。


石塔は大きく立派な塔でした。

最初は宝刀かと思いました。

反対側は普通の公園になっています。

その為のフェンスかと思われます.....

では境内に戻ります。