starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

多摩川七福神巡り③ 狛犬巡り⑲東八幡神社(弁財天)

多摩川七福神巡り

弁財天の.....

東八幡神社です。

多摩川七福神の赤い旗が

棚引いています。


東八幡神社です。

多摩川堤防より撮りました。

こちらは4月6日の桜の開花景です。




敷地内に巨大な鉄塔が

そびえ立っています。

中は公園にもなっていて

子供らが遊ぶ姿を

親が見守っていました。

多摩川はすぐ目の前です。

矢口の渡し跡地になるのですね


⭕️東八幡神社の由緒

東八幡神社は、建長2年(1250)

に創建したと伝えられます。

江戸時代には湯坂八幡、東八幡宮と

呼ばていたといいます。多摩川河畔に

あった内室八幡(両け八幡宮と)

を明治44年(1911)合併したといいます。

太平洋戦争終戦までは村社に

列格していました。




子持ちの尾流れタイプの狛犬

阿形です。

蹴鞠を持った尾流れタイプの

吽形です。




明治三十五年九月

1902年9月

石工銘 東京深川 木村■■なそうです。



(東八幡神社青年会より)


20年4月15日(1945年) の深夜に、

米国の202機もの大型爆撃機B29が

東京都大田区のほぼ全域に飛来するほどの

大規模な空襲がありました。


その城南大空襲により、現大田区の

南側に位置する蒲田区は、

区内の99%が焼失されたといわれています。

増加傾向にあった町工場の多くが、

軍需工場の下請けの部品工場だったため

ターゲットとなったとも言われています。

そして当時木造だった多摩川大橋すらも

焼け落ちる程の悲惨な状況の中、

東八幡神社の境内で唯一残ったのが1

対の狛犬です。御神木として祀られていた

樹齢600年の大杉も灰燼に帰して

しまいました。


当時の狛犬は綺麗な白色でしたが、

B29の空爆により焼け焦げて今の色になりました


御神体は弁財天です。

(画像拝借)

多摩川七福神

弁財天確認しました。

弁才天(べんざいてん)梵、巴: Sarasvatī

巴: Sarassatīは、仏教の守護神である

天部の一つ。

ヒンドゥー教の女神である

サラスヴァティーが、

仏教に取り込まれた呼び名である。

神仏習合によって神道にも取り込まれ、

様々な日本的変容を遂げた。


日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な

神の一面を吸収し、インドや中国で

伝えられるそれらとは微妙に

異なる特質をもち、本地垂迹では

日本神話に登場する宗像三女神の

一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)

と同一視されることが多い。

「七福神」の一員として宝船に乗り、

縁起物にもなっている。

古くから弁才天を祭っていた社では

明治初頭の神仏分離以降は、

宗像三女神または市杵嶋姫命を

祭っているところが多い。

『金光明最勝王経』における弁才天は、

金光明経を人に説いたり、

他者から聞く者に智慧、

長寿、富を与えるとされる。

弁天(べんてん)または弁天さんとも言われ、

弁才天(弁財天)を本尊とする堂宇は、

弁天堂・弁天社などと称されることが多い。