ゴードンハスケル/KCⅠ期メンバー
ゴードンハスケル(Wikipediaより抜粋)
ゴードン・ハスケルは、1946年イギリスは、
ドーセット州ボーンマスの産院にて生まれる。
1961年、学友のロバート・フリップからギターの手ほどきを受け、7月終わりに一緒に組んだ初めてのバンド、レイヴンズでベースを担当。
9月にはウィンボーンにあるウェスト・ムーア・ユース・クラブの教会で初めてのステージに立った。
1962年8月解散。
フリップのみダグラス・ワードのトリオやホテル専属バンドでセミプロ活動を続けた。
1964年3月、ハスケル、フリップ、
リーダーのティノ・リチニオの
元レイヴンズのメンバーが集まり、
新ドラマーとボーカルを加え、
バンド名を
ザ・リーグ・オブ・ジェントルメン
とし5人編成で活動。
ビートルズやロイ・オービソン、フォー・シーズンズ等、主に当時のヒット曲を演奏していた。
ドーセットの地元バンドとして地方紙に載るがデビューには至ってない。
1965年夏、フリップが学業専念のために脱退。
バンドはその後も秋まで活動し解散。
その後、かつて同郷のジャイルズ兄弟も参加してたダウランズのツアー参加中、観客からフルール・ド・リス (The Fleur de Lys)でベースを募集していると聞き、年末に加入。
ロンドンに出たハスケルは1966年中頃からリンゴ・スター所有でアニマルズが住んでいた
豪邸に8ヶ月下宿しており、
アニマルズのチャス・チャンドラーが
米国から連れて来たジミ・ヘンドリックスも
一緒に住んでいた。
1967年からフルール・ド・リスの三代目マネージャーに就いた人物がアトランティックの英国部門ヘッドだった事もあり、セッションやバックバンド活動にも数多く参加。様々な歌手のレコードや作曲家のデモでもベースを弾いている。この時期初めて他の歌手に
「レイジー・ライフ」という楽曲を単独で提供している(南アフリアでシングルチャート2位、
内二つの州で1位)。
1968年4月、フルール・ド・リスを脱退[15]。フラワーポット・メン、キューピッズ・インスピレーションといった当時既にヒット曲を出していたグループのツアーに参加。
この当時、書き貯めていた曲をマネージャーと売り込み、キューピッズ・インスピレーションのプロデューサーであったジミー・ダンカンの手によりソロ・アルバムを制作。
1969年秋、ファースト・ソロ・アルバム
『セイル・イン・マイ・ボート』
を英CBSより発表。
またこの年結成したばかりの
キング・クリムゾンのリハーサルに旧友のフリップを尋ね度々見学に訪れていた。
1970年春、キング・クリムゾンの
セカンド・アルバム
『ポセイドンのめざめ』
収録曲「ケイデンスとカスケイド
(Cadence And Cascade)」
にボーカルでセッション参加。
旧友ロバート・フリップの熱心な誘いを受けキング・クリムゾンにベース兼ボーカルで加入。
1970年夏、
サード・アルバム『リザード』に参加。
アルバム制作終了後の秋に引き続いて行なわれたライブ用リハーサルでフリップと対立し脱退。
2001年末、クリスマスソングとして発表した「How Wonderful You Are」
が全英シングルチャート2位のヒットとなり、
翌2002年春発売通算9作目のアルバム『Harry's Bar』も全英アルバムチャート2位を記録した。2007年、自宅のあったドーセットからギリシャのスコペロス島に妻ら家族と移住。
2015年年頭、プロ活動50周年に5年ぶりのシングル曲「I'm letting everybody know」を発表。
年末からは久しぶりのUKツアーを行なった。2016年末、英国に住まいを戻し、活動を再開した。
2020年1月24日、10年ぶりのアルバムThe Cat Who's Got The Creamを発表。
ツアー開始をアナウンスするもコロナ禍で中止となった。
2020年10月18日、15日にガン闘病の末に亡くなったことが報じられた。
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