starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

三重県 伊勢市 二見輿玉神社~夫婦岩

賓日館を抜けてすぐに、

二見輿玉神社がありました。

鳥居前

ちょっと風が強いですね。


では、二見輿玉神社参りましょう


ここの手洗い場はカエルの像

二見カエルが三体おりました。



ここにも6体ほどいますが、

暗くて見えにくいですね。



二見輿玉神社、到着です。

ここは、まさにカエル、カエル、カエル

ですね。


(ネットから抜粋)

境内に多く見受けられる蛙の奉献は、

元来この地が御日の神の拝所であり、

皇大神を御日の神と崇めたる

時代に在りて、

祝詞式に、所謂、谷蟆々の

狭渡る極みなどあり、

日の神に谷蟆々(蛙)ヒキガエル

を献じたるものなりと伝えられ、

又、御神石である

興玉神石を伊勢の海の守護の

澳魂とあがめ、龍神崇拝の

精神を一つにして、

龍神は雨を喜ぶと云う

意味から蛙を献ずるのであるといわれ、

社伝には神宮参拝者が、旅の安全、

航海の安穏を祈念して


無事「かえる」


の願からでたものとも云い

伝えられています。



(ネットから抜粋)

興玉大神

おきたまのおおかみ 


御名


 猿田彦大神

さるたひこのおおかみ


相殿 

宇迦乃御魂大神

うがのみたまのおおかみ


猿田彦大神は天孫降臨の節、

天八衢にて天孫をお迎えご先導を以て

御神威を顕わされました。

その後、

「吾は伊勢の狭長田五十鈴川上にいかん」

と仰せられ、天鈿女命の侍送により

伊勢に還りこの地に住まわれました。


垂仁天皇の皇女倭姫命が天照皇大御神を奉戴され、この二見浦に御舟を停められたとき、

興玉大神は海上の厳島に出でまされ、

御神幸を守護し奉り五十鈴の川上に

大宮地を定められました。


そして、未来永劫、皇大神宮大宮地の

守護神として鎮まられ、内宮御垣内に

興玉神が奉斎せられるに至りました。

当社の創始は、此の厳島を大神の

坐す島と崇め敬い

興玉神石と尊称し


夫婦岩(立石)

として注連縄を張り、

その前に遥拝所を

設け拝礼致したことによります。


その後、天平年間に僧行基がこの地に参り、

興玉神の本地垂跡と称し観世音菩薩を

本尊に迎え江寺を創建、

興玉社を鎮守の神

として同寺の境内に社殿を設け、

仏者の手において

祭祀が執り行われました。

時が移り明治9年、

神仏分離により新たに元の

立石前に神社として御造営御鎮座

されたのであります。


文禄年間に天乃岩戸内より

外側に遷座し奉り、

明治43年元興玉社と

元三宮神社を合祀し

奉り二見興玉神社と

神社名が改められました。


なるほど~そうなんですね。


と、言う事で

写真も撮ったし、そろそろ

引き返しますか。

相変わらず波が荒くて風が強いですね。

夫婦岩も見たし、

次は鳥羽駅に向かいます。


良く見たら飛行機雲が

あちこちにあるので、驚きましたよ。

二見浦駅に戻りました。


無人駅なのですが、

ホームの広い事......

こんなに遠くまでホームが

続いてます。

まだ、60~70メートル先があったの

ですが、暑いしその先に行くのは

断念しました。

鳥羽行きが来るまで

しばし休憩です。

し~ん.....

相変わらず静かです。


このホームの

奥行きが長い長い‼️

とても、無人駅のレベルでは

ありません。

そして、鳥羽駅に到着。

ここも、今や無人駅なんですね?

この奥に階段がありますが、

鍵が掛かって入れなくなってました。

隣の路線の連絡通路の様です...

では、鳥羽駅改札を出て、

鳥羽の地に降り立ちましょう~

賓日館のすぐ側にありました。

二見輿玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)