starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

大映妖怪三部作 妖怪大戦争

●妖怪大戦争の背景


一連の東宝特撮映画に加え、

TV作品のウルトラシリーズ、

そして大映のガメラシリーズ、

大魔人シリーズが生み出し、

昭和40年代初頭に

日本中を席巻した怪獣ブーム。

たが時代の移り変わりは速く

ポスト怪獣を狙って、マスコミ各社が

打ち出した次なる手は

週刊誌マンガ誌で、人気が上昇し始めていた

『墓場の鬼太郎』を旗手とする

妖怪物のブーム化であった。


この流れを後押ししたのは、昭和41年に

東映が制作したTVドラマ『悪魔くん』と

同年の大映京都の『大魔人』シリーズの

成功にあった。

その予想通り、東映は

『墓場の鬼太郎』

を改題し昭和43年にアニメ

『ゲゲゲの鬼太郎』をスタート。

また妖怪ブームのもう一つの

藤子不二雄(A)の『怪物くん』の

アニメ化も同年だ。


大映京都は、次第に時代劇の舞台が

移りつつあるのを感じつつも

『妖怪百物語』を制作している。


●同年公開の第2作目『妖怪大戦争』は

古典的怪談話とは打って変わって

西洋妖怪ダイモンと日本妖怪の対決物

である。

ブルーバック合成を使用したり

巨大スケールのダイモンの手を

作りながらも、大規模な特撮が

無いのは『大魔人』シリーズで

制作予算に興行収入が追い付かなかった

反省から来る物だろうか?

ただしその分オーソドックスな時代劇に

仕上がっており、大映京都の地力が

充分に発揮される形になった。

大魔人の様に大掛かりなセットの中での

闘いもあれば、また違った見方に

なっていた。

迫力も動きも躍動的で、手に汗握る展開

になったと思います。

しかしそれは1つ間違えれば、

怪獣映画と同じになってしまう

可能性もあります。

何処か分からない様な異空間的な

闘い方が、妖怪らしくて良かった

のでは?と言う見方もあります。


●ストーリー


古代バビロニア遺跡に侵入した盗賊たちは

図らずも古代の吸血妖怪ダイモンを

覚醒させてしまう。南蛮船に紛れ込んだ

ダイモンはやがて江戸時代の日本へ上陸。

伊豆の代官に成り済まし、犠牲者を次々と

増やしていく。日本の地を異国の妖怪に

荒らされてはたまらないと、河童を始めとする

日本妖怪たちが立ち上がった。



興味深かったのはこの作品とホラー映画の

『エクソシスト』(1973)との夥しい共通点だ。

ダイモンの出現地古代バビロニアとは

『エクソシスト』の悪霊パズズの

発掘された現イラクのことであり、

それら悪霊が海を隔てた馴染の無い

土地の人間に取り憑く、という流れも一緒だ。

(エクソシストよりバビロニア パズズ)

(妖怪大戦争バビロニア)

盗賊の盗掘によりダイモン復活。

その結果、こんな事になりました。



そして『エクソシスト』における悪魔憑き

リーガンがキリストを冒涜したように、

『妖怪大戦争』においてはダイモンの取り憑いた代官が神棚や仏壇を破壊するのである。

妖怪の一人がダイモンを成敗するのに

「俺に取り憑け!」とやる部分は

『エクソシスト』クライマックスと合致する。

なのでエクソシストの冒頭のシーンの

パズズの像を見た時は、思わずダイモン

じゃないか!と心の中で歓喜したものです。


●映画公開時のポスター

楳図かずおの蛇娘と白髪鬼と

同時上映でした。


ヒロイン川崎あかね(千絵)と

妖怪たちの出会いのシーン。


妖怪たちのオフショット。

●川崎あかね

6歳より日本舞踊を学ぶ

1967年に高校卒業と同時に大映に入社。

1968年公開の『陸軍中野学校 開戦前夜』

に端役で出演。同年の『妖怪大戦争』

ではヒロイン役を演じて実質的な

デビュー作となる。

以後、『笹笛お紋』(1969年)などに出演




撮影のオフショットでしょうか

油すましが座り込んでます(笑)

でも河童はちゃんとポーズ

を決めています。


妖怪大戦争の妖怪紳士録


●ダイモン



骨格が浮き出た緑色の体に猛禽のような

手足と翼を持つ古代バビロニヤの

異形の怪物。

手に持つ「魔笏」(ましゃく)

と呼ばれる4尺長の杖で日本妖怪の

妖力を弾き、突風を起こし火焔を放つ。

幾多にも分身して多面攻撃を行い、

日本妖怪を翻弄する。磯部兵庫に乗り移り、

片目をつぶされたのちは新任代官の

大館伊織に乗り移る。

20尺ほどに巨大化する。


演じたのは、『大魔神シリーズ』

で大魔神を演じた巨漢俳優の橋本力。

「大魔神」での「眼の演技」に惚れ込んだ

黒田監督直々の指名を受けて登板となった。

橋本は大魔神では戸惑いの多かった

スーツアクターとしての演技が、

本作では楽しんで演じられるほどになり、

様々なアイディアを演技に盛り込んだという。

大魔神と同様に、目瞬きをせずに演じた

橋本の真っ赤に充血した双眼の迫力・眼力は、

内外でも評判となった。



「大魔神」スーツアクターや

「ドラゴン怒りの鉄拳」敵役などを演じた。

まさかこの人が大魔人だったとは、

今まで知りませんでした。


橋本は1953年、毎日オリオンズに入団。

1959年「一刀斎は背番号6」

にアドバイザー兼選手役で出演する。

しかし、撮影中のケガをきっかけに

プロ野球を引退し、本格的に俳優に転身。

その後、大映京都撮影所の専属俳優となった。


1966年には安田公義が手がけた大映特撮

「大魔神」シリーズに、大魔神のスーツアクターとして出演。



また1972年の香港映画

「ドラゴン怒りの鉄拳」で、

ブルース・リーの敵役となる

大日本虹口道場館長・鈴木寛役を

務めたことでも知られている。

そのほかの出演作には「妖怪大戦争」

「ある殺し屋」「兵隊やくざ」

シリーズなどを演じた。


ぬいぐるみのほか、巨大化後の実物大の

手や足が制作され、効果を上げた。

ぬいぐるみは八木功によると、

2000年ごろまでエキスプロに

保管されていたが、社屋移転の際に

廃棄されたという。



●河童


河童磯部兵庫の屋敷の庭水の主。

日本の妖怪で最初にダイモンと

一戦交えるなど、事実上妖怪サイドの

主役級の扱い。ただし、最終決戦での

戦闘中にダイモンの火炎で負傷して

以降は最後の復活まで出番がない。

黒木現が演じ、声は飛田喜佐夫があてた。

衣装は前作『妖怪百物語』

(1968年)のぬいぐるみスタイルから

一新され、新規造形によるマスク形式の

頭部と、装飾衣装による表現になっている。

口から放水するシーンは、

上半身のみの実物大人形を使って撮影された。

黒田監督は本作の河童を

「三枚目でちょっとおっちょこちょいな性格」

と設定し、三枚目の出来る役者を

選んだという。黒田監督は本作で

一番気に入った妖怪としてこの河童を挙げ、

黒木現を指して「ああいう役をきちんと

やれる役者がたくさんいたから、

あの映画は出来たんでしょう」

と語っている。


●油すまし

油すまし日本妖怪の大将格。

知恵者で、大阪弁を操る。

戦闘でもメインでダイモンと張り合い、

巨大化したダイモンにから傘小僧とともに

空中から挑み、ダイモンに止めを刺す。

子役の別府敏保が演じた。


水木しげるの油すまし



熊本県の天草に出没するとされる路傍の怪。

本来は「油ずまし」と表記するらしいが、

近年は濁らずに「すまし」と呼ぶ事が多い。

草隅越と言う峠道で、

孫を連れたおばあさんが

「この道には昔、油瓶を下げた者が

出没したそうだ」と噂すると

「今でも居るぞ!」

と言って姿を見せたと言う。


その正体は不明だが、一説に

「すまし」「ずまし」は方言で

“油を絞る”意味の「すめる」

と言う単語から派生した語句と言われており、

油を商う人間との何らかの関係を

示唆する説が存在する。


また京極夏彦の対談集「妖怪馬鹿」では、

柳田國男の著作「妖怪談義」において

釣瓶落とし、薬缶吊るやさがりと同じ

項目に記述されていることに注目し、

油瓶が下がってくる怪異である可能性が

指摘されている。


姿かたちに関する詳しい言及はないが、

一般には水木しげるのデザインした、

ジャガイモのような頭(文楽の蟹首がモデル)

に蓑笠をつけ杖をついた姿が有名である。

なんと油すましのお墓があるそうですよ。

(熊本県 天草市栖本町河内)


妖怪「油すまし」の墓


マンガや映画では、

みのを着た頭の大きな老人のような姿で

登場する。博識があり妖怪界の重鎮でもある。

この油すましの墓だという石像が栖本町の

河内地区にある。なぜ、油すましなのかは

不明だが、昔、老婆が孫の手を引きながら、

油すましがいたという話をしたら、

「今もー出るーぞー」といって出てきたそう。

今は、地区の人たちによって

大事に祀られている。



●青坊主



身軽な身のこなしで、油すましを補佐して活躍する。決戦では「分身ではなく、本体を攻めよ」と油すましに助言する。


●雲外鏡(うんがいきょう)



日本妖怪の相談役。大きな腹が、千里眼のごとく遠くの景色を映し出す鏡となる。

江戸時代に鳥山石燕によって描かれたものとは違い、デザインは「ふくろさげ」という狸妖怪の要素を加えて、鉢巻を締めた古狸のキャラクターとなっている


●ろくろ首



千絵を救うために一肌脱ぐ、人情に厚い妖怪。

土佐弁を操る。最終決戦では鉢巻を締め、

日本刀を手にダイモンに斬りかかる。

前作『妖怪百物語』に引き続き、

黒田監督の指名で毛利郁子が再演している。


●毛利 郁子(もうり いくこ、1933年4月25日 - )


男に弄ばれた映画スターの復讐劇

「毛利郁子殺人事件」


毛利郁子は高知県幡多郡宿毛町

(現在の高知県宿毛市)

の呉服商の家に生まれる。

高知県立宿毛高等学校を卒業後、

親戚の経営する大分県別府市の

旅館でフロント係を勤めていた1955年、

「全国温泉旅館美女コンテスト」で

「ミス温泉」に選ばれた。

1956年、23歳で大映に

「大映10期俳優研修生」として入社した。

1957年、大映東京撮影所が制作した

特撮映画『透明人間と蝿男』でデビューし、

女優としてキャリアを始めた。


当時の毛利の公称サイズは

身長160センチ、

バスト96センチ、

ウエスト55センチ、

ヒップ92センチとされ、

すさまじいバストの持ち主だった。

紺野ユカと並び大映のグラマー女優と

称された。毛利は撮影所にペットとして

持ち込むほどのヘビ好きとして知られ、

「猟奇的な映画で抜群の存在感を発揮した」

と報道されていたが、実際にはヘビを

怖がらなかった程度のことであり、

毛利本人は当時父親に、そういった

特徴を喧伝されたほうがいいのだという

旨の話をしていたらしい。


こうして女優としての活躍を順調に

続けていた毛利だったが、彼女の運命を

暗転させる出会いが待っていた。

毛利が30歳になった1959年、

芸能関係やプロレスなどのプロモーター

をしていた水田照正氏に仕事を

紹介されたことをきっかけに、

毛利と水田は親密になった。

この出会いから3年後の33歳の時に

毛利は水田の子供を身ごもった。

妊娠を知った水田は毛利に対して、

子供を堕ろすことを強く要求したが、

毛利は頑なに水田の要求を拒否し、

産むことを決意した。


1969年12月14日、毛利は

「秘録怪猫伝」の撮影を終えると、

金物屋で買った包丁を忍ばせて、

水田の車に乗り込んだ。そして、

広峰山のドライブウェイの駐車場で

車が止まると、当時2歳になっていた

子供の認知を切り出した。だが、

水田は毛利を相手にもせず、

「自分の産んだ子くらい自分で責任負えよ!」

と言い放った。これを聞いた毛利が

包丁を取り出すと、水田が

「やれるものならやってみろ!」

と怒鳴った。毛利は躊躇うことなく

水田の脇腹に包丁を突き立てた。


翌15日、毛利は自首し逮捕された。

現役の女優が殺人を犯すのは初めてだった。

事件直後の同月20日に公開された出演作

「秘録怪猫伝」は、ヒットした。

大映社長の永田雅一や共演者の勝

新太郎らが減刑嘆願書を提出し、

1970年4月17日、

神戸地裁姫路支部で懲役7年、

1974年9月17日に大阪高裁の

二審で懲役5年の判決が言い渡され、

刑は確定した。毛利は和歌山刑務所に

収監され、模範囚だったため

3年後の1977年に仮釈放された。

その後、毛利は芸能界には戻ることなく、

東京都内のクラブで働いたとされる。

「芸能人物事典 明治大正昭和」

に記述のある1998年11月時点では、

結婚して平穏な家庭生活を送っていると

されているが、以降の消息は不明だ。

毛利がもし存命であれば、

2023年現在、85歳になり、

水田との間の息子は52歳になっている。

毛利には3人の子供いるというネット上の

情報があるが、出所は不明だ。

身勝手な男に振り回された毛利が

幸せに暮らしていることを祈りたい。




●二面女(にめんおんな)




見かけは小娘だが、

頭の後ろに醜い顔をもう一つ持っている。

正義感が強く、子供たちの世話を焼く。

最終決戦の際に笛を吹き妖怪たちを呼ぶ。

行友圭子が演じ、被り物ではなく

特殊メイクで表現された。

行友圭子の情報がないので、

写真のみの掲載です。

妖艶で愛嬌のある2面おんなの

キャラクターはとても良かったです。

出演映画の2本です。





●から傘小僧



大将の油すましを一本足に掴まらせ、

ダイモンを空から攻撃する。


●ぬっぺっぽう


熊本弁を操る。


その他の妖怪編集


●海坊主


水軍妖怪として、口から水流を吐いて

ダイモンに立ち向かった。

三つ目坊主本作の新妖怪。

水軍妖怪として参戦するが、

特に活躍場面は無かった。

●三つ目小僧(海ぺろりん)



●うしおに



最終決戦に参加するが、

目立った活躍は無かった。


●陰摩羅鬼

うしおにとともに最終決戦に参加。


●ひょうすべ



●ぬらりひょん

「大映妖怪三部作」全作に登場。



●一つ目小僧





●泥田坊

「大映妖怪三部作」全作に登場。



●火吹き婆

明かりを吹き消す「吹き消し婆」

とは対極の妖怪。


●とんずら

地獄の獄卒。『百鬼夜行絵巻』

から採られた妖怪。




●烏天狗

『赤胴鈴之助 三つ目の鳥人』(1958年)

(大映京都)で大橋史典が制作した

「鳥人」の被り物が『釈迦』(1961年)

と前作『妖怪百物語』を経て

再流用されている。




●天狗

扇を持ち、長い鼻をした一般的な天狗である。

空軍到着の場面と最後の行進に2体登場。


●雷神

同じ大映京都作品の

『赤胴鈴之助 黒雲谷の雷人』

(1958年)に登場した怪物の造形物。

『釈迦』(1961年)で再利用した後、

再び改造流用したものである。



●毛女郎

「大映妖怪三部作」全作に登場。


●白粉婆

「大映妖怪三部作」全作に登場。





●狂骨


前作『妖怪百物語』とは別の操演模型が

作られた。



●水軍の河童

前作『妖怪百物語』に登場した河童。

決戦で水軍に加わって登場。



●一つ目の妖怪

泥田坊のような胴体に、一つ目で頭の

長い姿をしている。水軍到着の場面に登場



●のっぺらぼうの妖怪

泥田坊のような胴体に、

白いのっぺらぼうのような顔をしている。

一つ目の妖怪と共に水軍の行進に加わる。


●名称不明

陸軍到着の場面では、雲外鏡に似た

小柄な妖怪が参加している。


●おとろし

●般若

●うまおに

●一角大王


以上、妖怪大戦争での

妖怪キャストでした。


朝になり日本妖怪たちは

皆それぞれ帰って行きます。

妖怪百物語でも、そうですが

幻想的なシーンですね。

最後は油すましがトリを務め

静かに消えていきます......


●西洋の妖怪VS日本妖怪軍団


最大の見せ場は、西洋から来た悪の

妖怪ダイモンと、日本妖怪軍団の

壮絶な決戦シーン。

前作以上にエンターテイメント性は

強化され、妖怪たちが繰り広げる壮大

で、ちょっとコミカルなバトルアクション

に仕上がった。

鬼の様な形相に緑色の身体、4本の牙と

翼を持つダイモンの存在感は圧倒的。

巨大化も分身の術も駆使するこの

妖怪の活躍には、ブルーバック合成も

大胆に活用された。


ダイモンの着ぐるみの中から鋭い眼光を

放っているのは、『大魔人三部作』を

支えたスーツアクター橋本力。

魔神もそうだが、身体の1部を露出した

妖怪たちには、全身を着ぐるみで覆われた

怪獣にはない畏怖や恐怖が宿っている。

日本の妖怪は更に擬人化され、

関西弁の油すましを初め、東北弁の

ろくろ首、陽気で間抜けな江戸っ子気質の、"

河童"、妖艶な"2面女"、お腹でダイモンの

分身を見破る"雲外鏡"、血気盛んな

"青坊主"、九州弁で寂しげな、"ぬっぺぽう"

などなど、怪しさや怖さよりも

ヒーローとしての愛らしさや面白さが

強調された。