starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

狛犬の話

狛犬など全く興味など無かった
私ですが、何気に雑誌の記事に
色々と興味を持ちました。


東京、神奈川にいるなら
これらの成り立ちについての話題や
時代背景の推移による狛犬の変化等、
少しだけ、触れたくなりました。
と言う事で.......


江戸の狛犬(東京人より)


神社の境内を訪れると、参道には
神遣いの狛犬(正確には獅子と狛犬)
が左右一対置かれている。
その造形は時代背景や地域性と
相まって顔つきやデザインなど様々。
特に江戸の狛犬は派手で豪華。
その姿には江戸っ子の心意気が
感じられる。





⭕️知ってる様で知らない狛犬の歴史。


狛犬とは一般的に神社に奉納設置
された、想像上の霊獣のうち
広義の意味として
『獅子や狛犬の二体一対の像の総称』
狭義な意味として
『一対の広義の狛犬のうち角が獣』
の事を指す。


⭕️狛犬の『狛』には次の様な意味合い
が有るとの事。


①中国が世界の中心と言う中華思想に
於いて『周辺の野蛮な地』と言う
意味合いがあり狛犬は
『中国の外(野蛮な地)に住む正体不明
の怪しい犬』と言う意味合い。


②本来『神獣』の意味があり牛や羊や犬
に似て頭部に角がある空想の獣を指す


③『こま犬』は『高麗犬』であり
『朝鮮の犬』を指している。
   日本に伝来した当時の朝鮮王朝(唐)が
「高麗(こうらい)」だったことから
「高麗犬(こまいぬ)」という名で呼ばれ、
やがて「狛犬」へと変化したというのが定説です。 


④『拒魔』の事で魔の侵入を防ぐと言う
意味。


⑤西方の守護獣は中国の五行説において
白虎であり『貊』(バク)と書く。
これが崩れて『狛』となった。
どの説が正しいとは言えませんが
狛犬とは一般的に、神社に奉納.設置
された想像上の二体一対の霊獣であり
、また狭義な意味として
『その一対の像のうち角がある獣』の
事を指します。
ここでは角のある狛犬を『狛犬』として
区別します。


⭕️狛犬の阿吽
我が国に、狛犬が伝来したのは
平安時代と言われ、その当時は左右
が別の霊獣でした。



左側の口を閉じて角がある霊獣が
『狛犬』です。
右側の口を開いた霊獣が
『獅子』です。


獅子は元々インドの守護獣として
置かれていたライオンの像が仏教とともに
日本に渡ってきたもの。
また獅子には霊力があると言われ、
悪を食べてくれるとして信仰されました。
そういえば獅子舞でよく口をパクパク
していますよね。あれは人に巣食う悪を
食べる縁起なんだそう。
だから獅子舞に頭を食べられると
縁起が良いんですね。


一方、狛犬は獅子が伝来した際、
異様な形をしたの生き物だったため、
日本人はこれを犬と勘違いしてしまいました。
狛犬という名前は魔除けに用いたところから
昔は「拒魔(こま)犬」と呼ばれていました、
(これは明治神宮に残っている
                             話なので 諸説あります)


はじめは二匹の獅子が並べられていたのですが、それが「獅子」と「狛犬」を区別するようになり、そして今度は二匹を総して「狛犬」と呼ぶようになったそうです。日本の歴史って面白いですね。最近ではその見た目も混同されてしまって余計ややこしくなりました。


重複しますが、
獅子と狛犬を見分けることは可能です。
その方法として一番わかりやすいのは


「阿吽(あうん)」の口です。


口が開いている阿像が獅子、
口を閉じている吽像が狛犬です。


狛犬の期限はメソポタミアでの
神や王位を守護するライオン(獅子)
がその起源とする説がある。
エジプトからインドを経由して
日本に中国の唐の時代の獅子(唐獅子)
が仏教と共に飛鳥時代に伝来した。


宮中に於いて天皇の守護獣として
定着した狛犬は、天皇家と縁のある
神社へと伝わり、やがて一般の神社
へと伝わって行った。


神社の神殿や拝殿に置かれた木造狛犬や
鉄造狛犬が参道に飛び出し、
豪商の氏子が雨風に耐えうる
石造りの狛犬を奉納して設置すると
言う風習が定着したのは江戸時代の
事であり、歴史的に比較的新しい。



⭕️見栄っ張りが身上で派手好きな
江戸っ子は、競いあって自慢出来る
狛犬を、神社に奉納した。
江戸の石工たちも狛犬制作に於いて
自分達の腕前を披露する場として、
職人同士が互いに競い合い凝った
狛犬を制作し、江戸庶民の文化を
伝える個性のある石像が増えて行った。
江戸時代中期から後期にかけて
狛犬の制作数は増加し、台座に
奉納者の名前や寄進の年月日、
石工の名前なども刻印することも
一般化した。
江戸末期には


『子持ち狛犬』




『玉に足をかけたもの』



などが出始め明治以降に
なると子沢山の狛犬も作られた。
子沢山の狛犬が、
大田区、品川区、世田谷区など
東京南部に多いと言う
特徴があるのが面白い‼️


また時代が日露戦争から日中戦争
へと突き進んで行った時期には、
狛犬も蹲踞(そんきょ)の姿勢で胸を張った
筋骨隆々で威風堂々とした力強い
デザインに変わって行った。




⭕️岡崎現代型の登場
狛犬なんて、皆同じ‼️


愛知県岡崎市で造られた
『岡崎現代型』と言われる狛犬の
様式が1930年~1940年にかけて
全国を制覇した。
神社に新設される狛犬の座を奪ったのだ。
関東では、完全に主流が切り替わるのは
昭和35年(1960年)とされており
デザインを画一化し、時には海外に発注する
事で安価に提供された。
特に昭和15年(1940年)は神武天皇の即位から
二千六百年目に当たる節目の年で、
全国の神社に記念として新しく狛犬が奉納
されて建立ラッシュとなった。
その多くは岡崎現代型と言われる様式であった。
『どこの神社の狛犬も同じ顔』と言う意識が
増長された時代であった。


では何故愛知県岡崎市の石工職人が
作った狛犬が、これほどの広がりを見せたのか
数々の要因があった。


天正18年(1950年)に徳川家康の関東移封に
ともない、秀吉重臣の田中吉政が城下町を
整備するために、優秀な石工たちを和泉の国
(大阪府阪南市、泉南市、和泉南部岬町)付近
から呼び寄せた。
そしてこの地は(石都岡崎)と呼ばれる様になり
素晴らしいデザインの狛犬が作り出された。


そして岡崎は良質な石材の産地だった。
岡崎は真壁(茨城県) 庵治(香川県)と共に
石材の日本三大産地と、言われており
良質な御影石が近くの山から豊富に採掘
されていた。


大正時代、岡崎に6代目酒井孫兵衛という石工がいました。
その孫兵衛が完成させた狛犬のデザインや作り方が 「岡崎型」の原型。
完成度の高かった孫兵衛狛犬の原型をベースにして、当初は岡崎の石工たちが競って作り始め、
やがて全国に量産型として普及。
もちろんすべてが画一的なものではなく、
製作者(石工)が独自の意匠を加味したり、
また戦後一挙に普及した機械彫りに
適応しやすいデザインになっていった。


平成2年(1990年)に御大典に至り、狛犬制作
の需要は戦後の狛犬建立のピークを迎える。
安価に製造するために、日本の石工職人が
狛犬製造技術を韓国の職人に指導し、
その後製造工程は韓国人職人から中国に
伝えられた事で、生産の主流は中国に
移って行った。
安価な、狛犬が、中国から輸入される事で
日本の職人の仕事が奪われて行き、
過酷な労働である石工職人になりたい人が
現象し、若手が育たなくなった。
このままで行くと、石を採掘する山も
閉山となり石工が用いる道具を作る鍛冶師
も居なくなる事で、狛犬を掘れる職人が
引退するであろう10年後には日本製の
狛犬が姿を消すであろうと言われている。


都内に残る江戸時代の狛犬が徐々に
姿を消して、岡崎現代型に置き換わって
既に80年が経過した。
これまで鎮座していた江戸狛犬に
置き換わって、中国産などの岡崎風の
狛犬になっている。
こうした状況の一端には狛犬が
歴史的な文化遺産であると言う認識がない
と言う事だ。

新しい狛犬が、作られると古い狛犬は
放置され、いつしか姿を消していく.....


なので現存する江戸の狛犬を紹介しよう。



○東京最古の目黒不動尊の狛犬
奉叡山護國院瀧泉寺(目黒不動尊)は
日本三大不動尊の1つで808年に円仁
より創設。



○港区最古の赤坂氷川神社の狛犬 (1675年)


紀州徳川家赤坂邸の産土神の由縁により
徳川8代吉宗公以降、14代家重公まで
歴代の朱印状が納められている。





○六郷神社の狛犬


貞享2年(1685年)に六郷中町の人々が
願主となり、現世と来世の二世安泰を
祈って奉納しました。区内で最も
古いもので、石工は三右衛門と
刻まれています。区指定文化財。



○神田明神の獅子山(1862年)


江戸城の表鬼門除けに鎮座する江戸総鎮守。
拝殿迎える右手に1862年に奉納された
獅子山がある。
記録には『両替屋仲間より神田神社へ
岩山を積み、石にて刻みし獅子の子落としの
作り物を納む』とある。



○湯島天神の粋な狛犬(1815年)


湯島天満宮(湯島天神)は458年に
雄略天皇の勅命により創建。
拝殿前には1815年寄進の躍動感に
溢れ躍動感のある狛犬がある。
江戸の見栄っ張りで派手好みの石工たち
を感じる狛犬だ。
台座には1995年造営の社殿の天井画を
描いた。
日本画家の松尾敏男氏による梅が掘られている。



○荏原神社の子だくさん狛犬(1896年)


709年に奈良丹生川上神社より
高露(たかおかみ)神(竜神)勧請し創設
古くから品川の竜神様として崇拝。
拝殿前には子獅子を二匹持つ阿吽の
狛犬像がある。




⭕️参道狛犬の分類
数多くある分類から誰が見ても分かる様なタイプをいくつか紹介したいと思います。


①はじめ型
狛犬研究家としても有名な落語家の
三遊亭圓丈師匠は、江戸時代初期に
作られた狛犬を『はじめ型』と
分類しています。
素朴で堀が浅く、牧歌的な古い狛犬です。
個性的なものが多く、尾が体に張り付いて
いるのが特徴です。



⭕️唐獅子型
中国から伝来した唐獅子の姿かたちをベースに、尾やたてがみなど全体の
毛並みが美しく、尾が身体に巻きつくように流れており、派手で気品のある狛犬です。
愛らしい子獅子や玉を手に取ったり牡丹の枝を咥えたりする仕草など
多くのバリエーションがあります。



⭕️短足型
前足が太くて短く、尾をピンと立たせ、獅子というよりは日本独特の和犬と言う
印象を持たせる素朴な雰囲気な狛犬です。





⭕️護国型
時代は明治になり『武運長久』などの戦勝を祈る奉納が始まり、蹲踞(膝を開いて
背筋を伸ばした姿勢)し威厳を持った顔立ちの狛犬が作られました。
この形状は神殿に置かれていた木彫り狛犬や唐獅子を模したものと言われています。