starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

狛犬巡り⑥ 大田区 矢口 新田神社①

大田区武蔵新田の

新田神社に来ました。




ここの御祭神は

新田義興公です。


父親は新田義貞


1331年(元徳3年/元弘元年)

96代天皇「後醍醐天皇の勢力と

鎌倉幕府の間で「元弘の乱」が勃発。

同乱で新田義貞は当初、

鎌倉幕府方に付き後醍醐天皇方の

「楠木正成」との包囲戦

「千早城の戦い」に従軍しました。

関東において挙兵した新田義貞が

手薄となった鎌倉を攻め、

鎌倉幕府は滅亡することとなる。

義貞の挙兵は、楠木正成討伐のために

膨大な軍資金が必要になった幕府が

新田荘に対して6万貫もの軍資金を

わずか5日で納入するように迫り、

その過酷な取り立てに耐え切れなくなって

幕吏を殺害・投獄したことに端を発していた。


鎌倉幕府が滅亡したのは、

千早城の戦いが終了した12日後のことであった。


⭕️新田義興公


正平13年・延文3年(1358年)

4月に足利尊氏が没し、これに対し

尊氏の子で鎌倉公方の足利基氏と

関東管領の畠山国清は、竹沢右京亮と

江戸遠江守にこの迎撃を命じた。


竹沢は自分に馳せ参じる兵が鎌倉に

多数いるので、今こそ政権奪回奪還する

好機だと新田義興をそそのかした。

これを信じた義興らは、隠密のことで

あったので少数の側近のみを従え、

10月10日の夜明けに多摩川河畔の

矢口の渡しに誘い出された。


竹沢は背後(大田区側)に射手150人を隠し、

江戸遠江守は江戸下野守や孫の

蒲田忠武ら郎党約300騎を率いて

対岸(川崎側)の茂みで待ち伏せし、

船頭を買収して舟底に穴をあけさせ、

両岸から挟撃する謀略を巡らせた。

義興と家臣13人が川の中ほどに

漕ぎ出したところで船頭に

栓を抜かれて逃げられ、進退窮まった

義興ら主従は自刃、あるいは対岸に

泳ぎ着いて斬り合いとなり討死した。

享年28歳との事でした。



⭕️新田神社七不思議


新田神社には「七不思議」と呼ばれるものがあり、以下の項目が挙げられる。


①義興公の憤死後7日7晩雷鳴が轟き、

首謀者の江戸遠江守が矢口渡に差しかかると

義興公の怨霊が現れ、落馬した江戸遠江守は

狂い死にした。

神社後背の義興公の御塚に立ち入ると

祟りがある。


②御塚の中央にあった船杉は、義興公の

乗った船と鎧を埋めたものが杉になった

(落雷で焼失)。


③御塚の後方に生える竹は源氏の白旗を

立てかけたものが根づいたとされ「旗竹」

と言う。決して神域を越えず、

雷が鳴るとピチピチと割れた。


⑤謀略を企てた畠山一族やその末裔が

新田神社の付近に来ると、きまって雨が降り、

狛犬がうなった。


⑥樹齡約700年のケヤキの神木は、

落雷や戦災で真っ二つに割れてしまったが

枯れず、毎年青々と葉を茂らせる。


⑦謀略に加担した船頭が、のちに悔悛して

地蔵を建て義興公を祀ったが、

公の怨霊により崩れ溶けてしまった

(とろけ地蔵・頓兵衞地蔵と呼ばれる)。

神霊矢口渡(人形浄瑠璃・歌舞伎)


このケヤキは樹齢700年の

御神木なのですね...

東京のパワースポットに

なっております。

大きく立派な欅です。

パワー貰えたかな?



新田神社、参拝致します。

ここの狛犬は岡崎型かと思われます。

口開けてるので阿吽の阿像です。

こちらは口を閉じているので、

阿吽の吽像ですね。

天地を睨み神社を鎮守する

岡崎型の狛犬です。


昭和四十年(1965年)十月奉納 

石工・風間八太郎なそうです。

(狛犬クラブより)





今更ですが、参拝方法が

丁寧にイラスト付きで説明されています。


そしてここは破魔矢

発祥の地なそうです。

石の台の卓球台もあります。

ラケット貸し出しでプレイも出来ます。

無料で貸し出してくれるのですね✨

暑いラリーか出来そうです!


昔の道しるべだったそうです。


これは力石と言います。

若者達が力くらべに使い、

名前など刻んで奉納したそうです。

ここで新田義興公の遺体を埋葬した


江戸時代など書物を見ると、

宝暦(1751~1764)頃より

「義興の矢」として、門前の茶店

で売られていたものが、後に源内の

提案により、五色の和紙と竹で作り、

新田家の黒一文字の短冊を付けたものを

魔除けとして売り出すようになったことが

わかります。

そして、この矢二本を買い、

魔除け「矢守」にしたといいます。

これは、新田家伝来の「水破兵破」のニ筋の矢に由来しているといわれています。


七不思議にあった"唸る狛犬"です。

新田義興の謀略に加担した一族

が通ると雨になり、この狛犬が

唸ったらしいです。


『うう~.....』と言う感じ

だったのでしょうか.......

解説にあった様にもう一体の狛犬は

戦災で壊れてしまったとの事です。

狛犬の阿吽の阿像

左手に掛けているのは子供?

いずれにしろ立派な狛犬です。

鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ

新田義貞の次男である新田義興は

南朝側として、父と同じく倒幕の

立役者の一人である足利尊氏の

北朝側と対立していました。そして、

正平十三年(1358年)、

新田義興とその従者たちは、

多摩川の矢口の渡し

(現在の東京都大田区矢口)

で謀略を企てた足利基氏家臣の

畠山一族に謀殺されてしまいます。

その後、無念の死を遂げた義興の怨念が

矢口付近に夜々現われるようになったため、

その御霊を鎮めるために新田神社が

建立されました。そしてそれ以来、

畠山一族とその血縁者の末裔が

新田神社付近に来ると、

きまって雨が降り、

この狛犬がうなったというのです。

良く分からなかったので

過去の画像借りました。

子供の顔ですね.....

子持ち狛犬でした。

新田神社 新田義興公の霊を鎮める

為に建立された神社でありました。

パワースポットでもあり

色々な伝説が、残る地でした。

神社の見取図です。



場所は、東急多摩川線の

武蔵新田駅より東へ徒歩5分程

で到着です。