starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

グレッグレイク/KC Ⅰ 期メンバー

全てネットより抜粋


1965年に初めて組んだバンド、ユニット・フォーを皮切りにザ・タイム・チェックスなど多くのローカルバンドで徐々に有力ギタリストおよびボーカリストとして頭角を現し、1967年ザ・シェイムに助っ人参加しデビュー・シングルを残した(この時期バンドのローディに1週間ほどロバート・フリップがいた)。

翌1968年にはユーライア・ヒープの前身バンド、ザ・ゴッズに年頭から夏まで参加しライブで活動。

秋にはザ・シェイムの発展バンド、シャイ・リムスのデビュー・シングルにアンディ・マカロックと参加した。

なお、このシングルB面でロバート・フリップもリードギターで客演している。


その後、ロバート・フリップに誘われ

キング・クリムゾン結成に参加した。



1969年にデビューを飾ったプログレッシブ・ロック・グループ、

キング・クリムゾンにおいては

デビュー・アルバムの


『クリムゾン・キングの宮殿』

でベースとボーカルを担当。



セカンド・アルバム


『ポセイドンのめざめ』

ではピーター・ジャイルズがベースを

担当した為に、

ベースではなくギターを弾いている。




その後、1970年にエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)を結成。

同バンドの人気上昇とともに、

グレッグ・レイク自身も世界的な知名度を獲得していった(詳細はELPの項目を参照)。


エマーソンレイクアンドパーマーと

言えば、やはり

『展覧会の絵』




1980年にELPが解散した後、

ゲイリー・ムーアやテッド・マッケンナ(英語版)等を迎えたソロ・プロジェクトに着手し、1981年に発表された初のソロ・アルバム


『グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーア』


は、ELPとは異なりギターを重視した音作りで、レイクのボーカルもよりハードロック的になっている



レイクのソロ名義作ですが、日本ではグレック・レイク&ゲイリー・ムーアとして

リリースされてます。


セッション・ミュージシャンとして有名なキーボーディスト、トミー・アイアー、そしてロリー・ギャラガーと活動を共にし、後にコージー・パウエルの後釜としてMSGに参加したベテラン・ドラマー、テッド・マッケンナが基本メンバーとして名を連ねています。


1曲目の「NEWCLEAR ATTACK」のイントロのギターが鳴った瞬間、本作がゲイリーのアルバムと思う方もいるでしょう。


当時のゲイリーはG-FORCEの解散直後、VIRGINとの契約前の空白期間と言える時代で、ソロ活動もままならず、どうも同じマネージメント内のレイクのサポートをするしか動きようがなかった様です。


大人の事情があったとは言え、ロック史にはこうした名盤が多く残る事があるもので、本作、、そして次作の「Manoeuvres」は、特に80年代ポップ・プログレ・ファン、そしてゲイリー・ファンにとっては悩ましい隠れ名盤となっています。


更に本作ではスティーヴ・ルカサー、ジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ハンゲイトとTOTOのメンバー、マイケル・ジャイルス、レイクが発掘したストレイ・ドッグのスナッフィ・ウォルデン等がゲスト参加しています。



1983年にはELPでのカール・パーマーとの縁から、ジョン・ウェットンの後任として一時的にエイジアのメンバーとなり、武道館で公演を行った。この公演の模様はライブ・ビデオ『エイジア・イン・エイジア』に収録されている。奇しくもグレッグ、ウェットンの両名とも元キング・クリムゾンであった。



その後、しばらくソロ・アーティストとしての活動を行なっていたが、ELPを再結成させて、ワールド・ツアーを敢行。


2001年には、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのアメリカ・ツアーに参加。「クリムゾン・キングの宮殿」と「ラッキー・マン」を歌った。


2010年、ELPでの同僚であるキース・エマーソンとのコンビで北米ツアーを行う。このコンビでの来日公演も予定されていたが、エマーソンの病気によりキャンセルとなった。


同年7月、ロンドンのハイボルテージ・フェスティバルでELP再再結成ライヴを1度だけ行うが、グループとしての活動継続は本人が否定した。その言葉通り、以後ELPのライブは行われなかった。


2013年にソロとして来日公演を行い、キング・クリムゾンとELPの他、エルヴィス・プレスリーなどお気に入りの楽曲も交えて歌った。


2016年3月10日、キース・エマーソンが急死。訃報を受けたレイクは哀悼のメッセージを送った。


そして12月7日、自身も癌闘病の末に死去。


69歳没[。


残されたカール・パーマーは、かつてレイクが『展覧会の絵』で歌った「死こそ生なり」という歌詞を引用して追悼


暗黒を見つめながらも透明感をたたえたような、静謐な夜の湖のような美しくエモーショナルな彼の歌は、実験的で複雑かつ豊潤なサウンド・スケープが中心のプログレッシヴ・ロックにおいて、リスナーの心の拠り所となる、なくてはならないものだった。





ロッキング・オンで2016年に特集したプログレ号(11月号)では、キング・クリムゾンのデ

ビュー前夜のインタヴュー記事を掲載している。ピート・シンフィールドとイアン・マクドナルドが中心で、彼は多くを語っていないが、人柄が表れている。


ピートシンフィールドのアルバム


『スティル』

ではゲストでグレッグレイクが

表題曲、スティルを力強く歌っており

ヴォーカルの弱い、シンフィールドを

バックアップしている.....と言うより

この1曲で完全に喰ってしまっていた。





年月か経つにつれ、貫禄も出てきました


この時既に病と闘ってたのでしょうか?


2016年12月7日 逝去


彼の甘いマスクと歌声は永遠です。