starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

ジョンウエットン

ほぼ、ネツトから抜粋です。


ジョン・ウェットン


ウィッシュ・ボーン・アッシュやモーガル・スラッシュなど数多くのバンドで活動してきたジョン・ウェットンであるが、やはりそのキャリアの中で代表的なものと言えばキング・クリムゾン、エイジア、そしてUKだろう。とりわけキング・クリムゾンではメンバー・チェンジの激しいバンドにもかかわらず3枚のアルバムに参加、中期の黄金時代を支える重要メンバーとしてバンドに貢献した。歪んだ音色で奏でられるベース・サウンドはジョン・ウェットンの代名詞でもある。ヴォーカリストとしても一流で、数々のバンドで叙情的かつ激しい歌声を披露している。


【本名】ジョン・ケネス・ウェットン

【生年月日】1949年6月12日

                         2017年1月31日に67歳で死去した

【出身地】イングランド

【使用ベース】 : フェンダー・プレシジョン・ベース、ZON

【所属バンド】 : キング・クリムゾン(King Crimson)、UK、エイジア(Asia)など


主な活動


キング・クリムゾン


太陽と戦慄



モーガル・スラッシュ、ファミリーでの活動を経てキング・クリムゾンに加入したのは1972年。この時点でのジョン以外のメンバーはロバート・フリップ(Gu)、ビル・ブルフォード(Dr)、ジェイミー・ミューア(Per)、デヴィッド・クロス(Vn)。この5人で制作され、1973年に発表された「太陽と戦慄」は各パートがぶつかり合いながらも緻密に重なり合い、凄まじい密度を持った傑作となった。ビル&ジェイミーと絡むジョンのベースがロバート・フリップの超絶ギターとバトルを繰り広げる「太陽と戦慄part2」はプログレ史上屈指の名曲。また、「イージー・マネー」ではそのヴォーカルでも存在感を発揮し、バンドにおいて既に欠かせない存在となっていることを証明してみせた。


暗黒の世界



1974年、ジェイミー脱退を経て4人編成で制作された「暗黒の世界」を発表。スタジオ・レコーディングとライヴ・レコーディングを織り交ぜたかたちで制作された異色のアルバムではあるが、クリムゾンの演奏技術の高さを証明する1枚でもある。デヴィッドはこのアルバムを最後に脱退。3人編成となったクリムゾンは、同1974年「レッド」を発表。デヴィッドを含む元メンバーたちをゲストに迎えて制作されたこの作品はクリムゾンが一時代の頂点にまで登り詰めた証とも言える1枚となった。「レッド」「スターレス」など1970年代のプログレを代表する曲を収録、更に3曲目の「再び赤い悪魔」でのジョンのベース・プレイ、そして歌声が素晴らしい。ビルのメタリックなドラムに絡むタイトなリフ、ブリッジでのメロディアスなインプロなど聴きどころは多い。そしてロバート・フリップの解散宣言により、鉄壁のトリオを中心としたクリムゾンは終焉を迎えた。


エイジア~UK



1978年、ジョンとビル・ブルフォードを中心にエディ・ジョブソン(Key,Vn)、アラン・ホールワーズ(Gu)の4人により結成されUKが「UK(憂国の四士)」を発表。メンバー・チェンジを経て翌1979年には「デンジャー・マネー」が発表されたが、程なくバンドは解散。


その後ジョンはスティーヴ・ハウ(Gu)、

カール・パーマー(Dr)、

ジェフ・ダウンズ(Key)という蒼々たるメンツとエイジアを結成。それぞれのバンドで培ってきたプログレッシヴ・ロックのエッセンスを凝縮しつつ、よりキャッチーな方向性にシフトした






プレイスタイル


様々なバンドを渡り歩いたジョンは、その中で自らのプレイスタイルを変遷させていった。キャリア初期からキング・クリムゾンに在籍していた70年代中盤頃は、いわゆるリードベース的な、自由度の高いベースラインが多い。とくにキング・クリムゾンでのプレイは、この頃のバンド自体の演奏の即興性が非常に高かったこともあり、ベースも前面に出る余地が多くメロディアスなラインが多く聴かれる。ベーシストとしてのジョンの最盛期といってもいいだろう。



King Crimson – Starless (OFFICIAL)


King Crimson - Starless (OFFICIAL)

キング・クリムゾンの最高傑作ともいわれているアルバム「Red」に収録された楽曲。ジョン自身が素晴らしいボーカルを聞かせる前半部、ベースが中心となった後半部、テンポアップしサックスとギターのアドリブの応酬となる後半部の全てで歌うようなメロディアスなベースラインが聴ける。



レッド」という楽器同士が火花を散らすインストで幕を開け、「スターレス」というこれまた超絶技巧なインプロ・バトルで幕を閉じるプログレきっての名盤。前述のように「再び赤い悪魔」では素晴らしい歌声を聴かせているが、「レッド」「スターレス」ではベースそのものがまさしく歌うようにプレイされており、ビル・ブルフォードのテクニカルなドラミングに拮抗するジョンのラインやフィルの入れ方は学ぶべきところが多い。




70年代後半からU.K、ASIAとキャリアを重ねるにつれ、ジョンのミュージシャンとしてのスタイルはボーカル中心に軸足を移していき、ベースラインは比較的シンプルなものへと変わっていく。が、とくにゲストとして招かれたセッションなどでは、クリムゾン時代を髣髴とさせる歪んだ音色でのアグレッシブなプレイも聴ける。



Asia/詠時感~時へのロマン

Asiaのデビューアルバムであり、


最大のヒット作でもある


「詠時感~時へのロマン」


に収録された楽曲。80年代らしく、


シンセサイザーが全目に出た楽曲だ。


個人的にはプログレのドラマチックな

部分の良いとこどりアルバムで

かなり嵌まりました。


ほぼ感涙の世界でした。

アルファ


ドントクライには勇気づけられました。



アストラ

カウントダウン トュ ゼロや

アフター ザ ウォーや反核、反戦

を、彷彿させる曲だったかな....

1985年、世界は平和ムードで

『映画ランボー怒りのアフガン』や

このアストラ等、時代に

合わない作品になり

置いてかれた感じがあったかも......


でも自分は好きなアルバムでした。


エイジアとは、1980年代を代表するスーパーバンドの一つと言われている。


1980年。プログレバンドとして既に名声を得ていたイエスはメンバーの脱退等で崩壊状態にあった。イエスに残留していたスティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズの2名であったが、イエスの継続を断念。

その時、イエスのマネージャーだったブライアン・レーンはジョン・ウェットンを2人に引き合わせて新バンドの結成を企画する。

そしてウェットンとハウが一緒に曲作りをするようになり、デビューアルバムの約半分を書き上げる。ドラマー、キーボーディストは紆余曲折するものの、結局はハウの紹介というメンバー同士の繋がりにより、アルバムデビューの時点のメンバーが固まった。


ジョン・ウェットン(vo.b/元キング・クリムゾン、ロキシー・ミュージック、U.K.)


スティーヴ・ハウ(g.vo/元イエス)


カール・パーマー(ds/元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)、


ジェフ・ダウンズ(key/元バグルス、イエス)



の4名のオリジナルメンバーが集結。バンド名はレーンが提案した「Asia」に決定し、ついにデビューを迎えた。

1982年3月8日、ロジャー・ディーンのイラストをジャケットに使ったファースト・アルバム


『Asia(詠時感〜時へのロマン)』

とシングル『Heat of the Moment』をリリース。

シングルの『Heat Of the Moment』は全米ロックチャート1位、全米ポップチャートでも4位と、デビュー作より大成功を収める。


美しいサウンド、アルバムの世界観が表現された幻想的なアルバムジャケット、「Aに始まり、Aに終わる」というコンセプトのアルバムタイトル。

これらはプログレの真骨頂としてAsiaは確実にファンの心を掴み、本物の「スーパーバンド」として音楽界に君臨するに至った。




その後、幾多のメンバー・チェンジを繰り返し、曲調の変化はありつつも、おしゃれ感のある正統派プログレという方向性は変わらずAsiaブランドは存続していく。


『フェニックス』

正にフェニックスの如く甦った1枚でした。


『xxx』


2007年にはオリジナルメンバー四人での「初来日コンサート」を開催。そして続く2008年にも来日を果たしている。

2012年には結成30周年記念アルバム「XXX~ロマンへの回帰」をリリース。同年9月には30周年記念ジャパンツアーが開催された。



デビュー時よりスーパーバンドと呼ばれ続け、常にハイクオリティーを求め続けられてきたAsia。

新作リリースにあたっても、ファンは期待を裏切られることなく、常に新鮮さが溢れ、進化したアルバムに触れる事ができた。

この先もずっと変わらぬ活動を続けていくであろうと誰もが期待する中、2017年、病気がちであったジョン・ウェットンががんによって他界。


オンライン投稿で、ダウンズは次のように書いている: 「深い悲しみを抱え、悄然としつつ、我々の最愛の友、兄弟、バンド・メイト、そして長年の音楽パートナーを失ったことを、ご報告しなければなりません。ジョン・ウェットンが、癌との長く粘り強い戦いの後にこの世を去りました。この非凡な才能の持ち主と、これまで数え切れないほどのプロジェクトで、密に仕事が出来たことを、非常に光栄に思っています。彼の声は神から贈られたものだった。その作品は…天下一品。そのメロディとハーモニーのセンスは…信じられないようなものだった。彼は文字通り‘特別な存在’でした」


彼は癌との戦いの後、妻のリサ、息子のディラン、兄弟ロバートと母ペギーを残し、ドーセット州ボーンマスの自宅にて死去。




ロバートフリップ

グレッグレイク

ジョンウエットン


の3人はイングランドの

ドーセット州出身なんですね。


何もない田舎なそうですが...

プログレの

スーパースターが3人もいる所なんですね....

凄い。