starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

狛犬巡り⑯ 目黒不動尊①

目黒川の目黒新橋を通り過ぎて

真っ直ぐ歩きます。

橋を歩き


目黒川を通りすぎます。

しばらく真っ直ぐ歩き右側の緩い

坂道を登ります。

途中愛い猫の

置物が通りを明るくしてくれます。

やって来ました。

関東在住で狛犬に興味のある人の中で、

目黒不動尊に行ったことがないという

人はいないでしょう。

何しろ、都内最古の参道狛犬の

ある所ですから....とあります。


狛犬初心者の私ですが、

楽しみたい‼️と思います。

⭕️「目黒不動尊」


泰叡山・瀧泉寺と号す天台宗の寺院である。


御本尊は不動明王。


現在は比叡山・延暦寺の末寺である。

当山の開基は、平安時代大同三年(808)、

慈覚大師(後の天台座主第三祖)と伝わる。

『江戸名所図会』本文「目黒不動堂」

によれば、大同三年、慈覚大師が、

故郷の下野国から比叡山へ向かう途中、

この地に投宿した。その夜に不動明王の

霊夢を感じ、自らその像を彫刻して

安置したのが目黒不動尊の縁起であると。

その後、天安二年(858)

再び目黒の地に下った時、堂宇を造立した。

慈覚大師の彫ったと伝えられる不動尊蔵は、

秘仏として12年に一度、酉年(とりどし)

に開帳される。


元和元年(1615)に火災のため諸堂ことごとく

烏有に帰したが、本尊と本尊所持の

宝剣は難を免れ今日に至っている。


蹲踞の姿勢の阿吽の阿像です。

どっしりと構えた貫禄の

狛犬です。

こちらは口が閉じているので

阿吽の吽阿形です。

こちらも蹲踞の姿勢で、どっしりと

構えています。

1999年(平成11年)の奉納という

狛犬です。

正面からの 吽形


正面からの阿形です。

平成11年12月吉日と

彫られておりました。


では、門を潜りましょう。


仁王像二体が出迎えです。


門を潜り抜けると

お次は....

入り口よりもどっしりと

構えた、阿吽像の阿形です。

いかにも獅子と言う風貌です。

阿吽の吽形です。

角もしっかりとあります。

表門、裏門、どちらも

蹲踞の姿勢です。

四肢の爪が鋭く地を噛んでいます。

1978年(昭和53年)作。

昭和五十三年(1978年)七月奉納 

彫刻家・後藤良(なおし)

入り口から凄い迫力の

狛犬達でした。

では参道を進みます。

境内案内図です。

中は広いですね~楽しみです。

男坂 階段手前の狛犬です。

と言うより風貌は戌そのもの

ですね。


なので調べて見ましたら...


狼や狐と非常に似ていて非常に

区別がつきにくいのですが、

犬(和犬)が神使となっている

神社も多くあります。

由来としては、弘法大師(空海)

が高野山の開山を決めた時に

和犬に先導されたという伝説から、

真言宗や天台宗の密教では

和犬を神使としたのではないかと

いわれています。

しかし尻尾は見事に丸く

巻いてますね。


優しく見守られている感じが

しますね。


ちょいと読めませんでした。




江戸時代の狛犬達より


文久二年(1862年)正月奉納 

石工名不詳


男坂、そのまま進まず

左手側に歩を向けました。

すると....

カエルの石像がありました。


無事カエル...なそうです。

カエルの石像過ぎると...


奥に前不動堂が見えて来ます。


⭕️前不動堂


滝泉寺本堂前石階の下、独鈷滝の左の

崖下にあり、内には本尊木造

不動明王立像などを安置し庶民信仰の

便を計ったものと思われ、

江戸時代中期の仏堂建築として

比較的よく旧規を保っている。

江戸時代中期の建築。

『江戸名所図会』にも現在地近くに

「前不動」として図示されている。

将軍や諸大名の参拝の日には、

庶民は本堂への立入りは禁止された。

そうした庶民の参拝用に建てられた。

とありました。


なのでここは、不幸にも諸代名

の参拝と当たった日に本堂に

を拝めないのも忍びないと

言う事で

存在するお堂なのですね.....

入り口には頭を垂れた狛犬..

これも和犬ですね

蹲踞の姿勢で、鎮座しています。

文久二年(1862年)

正月生まれの和犬です。

頭を垂れているのは

寂しげなのではなく

不動明王に対する敬意の

表れだと言われてます。

新調したと思われる赤い前掛け?

が見事に和犬を甦らせていますね。

これは、前掛け、よだれかけ、

前垂れ、とも呼ばれているそうです。

⭕️前垂れ、よだれかけは、なぜ赤い?


古代 朱色は 「丹(たん or に)」 

といわれ、 不老不死の薬をさす

言葉でもあったのだそうです。


この色が与えるイメージは、

太陽、炎、血潮、エネルギーなどで、 

魔除けや 不老不死を象徴しており、 

生命の躍動を祈る気持ちを込めて 

使われてきたのではないか・・・

と いうものです。 


赤にはパワーがありよだれかけ

には子供が元気に育つ様にと

願いも込められていると

考えられますね。

では!

前不動堂 参拝致します。



前不動堂から元来た道を戻ります。

途中龍の姿を見かけました。


龍の口から水が溢れてます。




男坂手前の左手の

前不動堂より戻って来ました。

そして男坂すぐ横の

水かけ不動明王に参ります。


男坂の上り口にある

独鈷の滝は、

開山以来千年以上枯れずに流れる

霊水と言われています。



その前立っている像が水かけ不動明王。

恐ろしいお顔ですが、仏教の修行の

滝業を身代わりになってして

くださるという心優しい仏様です。


独鈷(とっこ)の滝

ここにも和犬がおります。

⭕️独鈷(とっこ)滝

慈覚大師が長安の青竜寺に清い滝が

あったのを思い出し、試みに独鈷

(煩悩を打ち砕く仏具)を投げたところ、

たちまち泉が湧き、滝となったと伝えられる。


二条の清水が銅製の竜口から注いでおり、

動講の水垢離場(みずごりば)

となっている。近年水量は減ったが、

一年中水が枯れることはない。

『遊歴雑記』には

「瀧に打れて石坂を走登り不動尊を拝禮し、

又かけ付けて瀧壺に入りて、飛泉に打たる。」

とある。

現在はこの、水垢離は禁止され

不動明王が身代わりになっているのですね。

奥にも和犬が子供と一緒にいました。

至る所に和犬が居て、既に

多数見逃しているのかと

思われます。

あ、この方は誰なんでしょう?


養老孝子像なそうです。

綺麗な水を求めて来られた?


奥深く足を滑らせ、岩間に落ちたら

岩間の泉から山吹色の水が湧き

出ているのです。

これはどうしたことだろうとすくって

なめてみると、かぐわしい

酒の味がするのです。夢かと思いましたが、

「有難(ありがた)や天より授かったこの酒」

と腰にさげているひょうたんに汲んで

帰り老父に飲ませたところ、

半信半疑であった老父は一口飲んで驚き、

二口飲んでは手をたたいて喜び、

父と子のなごやかな笑い声が

村中に広がりました。

老父はこの不思議な水を飲んだので

白い髪は黒くなり、顔の皺(しわ)も

なくなり、すっかり若々しくなりました。

と...養老孝子の伝説があります。


では男坂に戻ります。

階段左手にも

狛犬ならぬ子だくさんの

和犬が石柱に寄り掛かって

いました。

3頭ほど子犬達が戯れてます。

母犬の首には補修の跡が見られます。



男坂右手には鷹が石柱の上に

鎮座してました。


⭕️鷹居(たかすえ)の松


三代将軍家光が

鷹狩をした際、愛鷹 ”鷹丸” が

行方しれずになり、龍泉寺の僧が

不動明王を念じて祈ったところ

鷹丸が帰ってきて止まったと

言われる松の樹。

松の木は何度か代替わり

されている様です。

(写真はネットより)

それ以来、

幕府の庇護を受け、諸堂末寺併せて

53棟におよぶ華麗な大伽藍が復興し、

江戸城を守護する五色不動の一つとして

寺運は隆盛した。

とあります。


この鷹の像の下にどっしりと

構えているカエルの親子は、

鷹が無事に帰って来たのを

祝福して無事に帰った❗️

て言う洒落っけたっぷりの

表現だったのですね。

カエルの背に子カエルが

二匹乗ってるのは

卵から無事に孵ったと言う

とんちなのでしょう。

壁画の鶏とヒヨコも

無事に孵って、のびのびと

戯れていますからね~。

では男坂に戻り

階段を登りたいと思いますよ‼️