starressのブログ

日々の、出来事を何となく綴りたいと思います。

狛犬巡り(22) 池袋 雑司ヶ谷鬼子母神堂

雑司ヶ谷鬼子母神前の

みみずく公園側から来ました。

雑司ヶ谷鬼子母神堂の境内から

奥が良く見えます。

上2枚から龍神線

仁王像の吽形にも出ています。

レンズゴースト?かとも

思いましたが、神社、お寺にのみ

写るので、龍神線だと感じます。



ここでは左右に石の仁王像がお堂を

護っています。

この二像は丈と幅が同寸といわれる

珍しいお姿で、もと、盛南山という寺の

観音堂にあったものが寄進されたと

伝えられています。






⭕️雑司ヶ谷鬼子母神堂


鬼子母神は安産・子育ての神であると

ともに、法華経の守護神として

日蓮宗寺院で祀られています。

雑司ヶ谷鬼子母神の

狛犬達です。

(狛犬クラブより)

鬼子母神堂

年代不詳の狛犬達


奉納時期不詳 

 石工名不詳




阿形の狛犬です。

柔らかい表情の狛犬でした。

こちらはレンズゴーストかな?

良く分かりません。

霊能者さんに聞くのも悪いので

謎のまま...で?




雑司ヶ谷鬼子母神堂は、

平成28年(2016)7月25日

国の重要文化財(有形文化財(建造物)

に指定されました。


※正しくは、鬼子母神堂の「鬼」の字は、

1画目の点(ツノ)のない文字を用います。


なるほど

何故鬼の点...ツノが無いのか不思議でした。

鬼子母神堂内に赤い狛犬が

鎮座しております。


新編武蔵風土記稿』


(文化・文政期〈1804~1829〉

に編纂された武蔵国の地誌)

などによれば、

雑司ヶ谷鬼子母神堂に祀られている

鬼子母神尊像は永禄4年(1561年)

に清土(現・清土鬼子母神堂)

で掘り出され、はじめは法明寺の

塔頭東陽坊(後に大行院)

に納められていましたが、

天正6年(1578)に雑司ヶ谷村の

人びとによりお堂が建てられると、

こちらに安置されました。


現在の雑司ヶ谷鬼子母神堂は

寛文4年(1664)

に第二代広島藩主浅野光晟の正室・

自昌院の寄進によって本殿が建立され、

元禄13年(1700)に相の間と拝殿が

増築されたものです。それ以来、

江戸の名所のひとつとして、

武士から庶民まで信仰を集めて

大いに興隆しました。


雑司ヶ谷七福神の大黒天

⭕️樹齢700年の大公孫樹

東京都の天然記念物に

指定されている。


⭕️武芳稲荷大明神


雑司ヶ谷鬼子母神堂の境内の

一部にあとから建立されたように

見えるが、実はこちらが本家の

お稲荷さんで、その境内に

鬼子母神堂がつくられたという。

鬼子母神像にも商売繁盛、

五穀豊穣のご利益を与えたのでは?







なんと境内の中には駄菓子屋さんが

ありました。

今から実に243年前から

ここ「上川口屋」はここでお店を

開いていたとのこと。看板にも堂々と

「創業1781年」と記載されています。

1781年というと、フランス革命や

天明の大飢饉が起きる少し前の

ころだそうです。


雑司ヶ谷鬼子母神堂からそのまま

ぐるりと回ると....


なんとこちらは裏側がそのまま

妙見菩薩堂になっています。

背中合わせみたいな感じです。







そのまま裏手から通り抜け

出ました。

雑司ヶ谷鬼子母神堂

ありがとうございました。

JR目白駅より徒歩5分ほどで

雑司ヶ谷鬼子母神堂に

到着と思います。


狛犬巡り(21) 神田明神

賑やかな秋葉原駅より

徒歩10

神田神社到着です。

東京を代表する神社、

知名度トップクラスの有名神社と

っていいでしょう。


東京十社の一つです。


御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)

、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、

して平将門です。


神田神社.....神田明神


東京の中心ー

神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、

旧神田市場、豊洲魚市場、

108町会の氏神様です。

参道の脇に店の狸がおります。

タヌキさん、またね~


参道から正面門に向かいます。

随神門と言うそうです。

社伝によると、神田明神は730年に

大己貴命の子孫・真神田臣により

現在の東京都千代田区に創建されました。

戦国時代の間は、有名な武士の太田道灌や

北条氏綱、さらには徳川家康も神田明神へ

参拝者として祈願していました。


特に徳川家康は深く信仰しており、

1600年の関ヶ原の戦いの際には、

この神田明神でご祈祷を行いました。

そして徳川家康は関ヶ原の戦いで

勝利し、それ以降、神田明神は徳川家に

とって縁起の良い神社となりました。










随神門の中の馬の彫刻は

躍動感があり迫力がありますね。

ガラス張りの為に景色が反射して

しっかり映りませんでした。

(画像拝借)

本来はこんな感じですね。

こちらも同様でした。

(画像拝借)

動きだしそうな勢いですね。



⭕️狛犬

昭和8年5月

氏子有志により奉献された。

造形については、動物彫刻を得意とした

池田勇八が原型を作成しているので、

よりリアルで精悍な表情をしている。

こちらは阿形になります。

こちらは吽形になります。

阿形、吽形逆になってます。

左側が阿形、右側が吽形です。

蹲踞姿勢の様で、前足開いてる

で、少し違う様な....でも

護国型になるのでしょうか...

正面を、向いている狛犬は

珍しいのだそうです。

確かに殆ど横向きですよね。

阿吽の呼吸を合わせる為に、

常にタイミングを図って

いるのでしょうか...

こちらは正面向いてるので

タイプが違うのでしょうね。

尾は太くピンと立っています。




当日結婚式の行列があり

とても厳かで神聖な印象を受けて

ました。

末永く幸せに!と祈って

しまいます。

阿形も

祝福してる様ですよ~

神社の左側には

なんと馬がいるのですよ。

あかりちゃんと言うらしいです!

平成22年5月15日、

神州佐久高原生まれ、

あし毛の牝馬。

神馬・神幸号


「明(あかり)」



名前のあかりは平和な世を願った

名前だそうで、神田明神の「明」

の字をいただいたそう。

あかりちゃんと呼ばれ、

参拝者のかたたちに親しまれて

いるのだそうですよ~。


あかりちゃんの馬舎の左側には


魚河岸水神社 がありました。


水神社の歴史は古く、

天正18年(1590)徳川家康公の

江戸入府とともに移住してきた

日本橋魚市場の開祖・森孫右衛門ら

摂津国の佃村・大和田村の漁師たちが、

大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して

「弥都波能売命」を祀った

「大市場交易神」がその始まり

といわれています。


明治34年には神田神社の境内に

「水神社」本殿が建立され、

日本橋魚市場は関東大震災以後に

築地に移転し、現在地に遥拝所が

建立されました

この狛犬たちは黒く

煤けていますが、火災で残ったとか

情報が無いので..

分かりません。

でも幾多の苦難を乗り越えたの

だなと姿を見れば感じますね....

尾流れタイプは石なのに繊細さと

柔らかさを感じるので好きですよ~










隣の社にも

狛犬が居りますね。

こちらは岡崎タイプです。

阿形は蹴鞠、吽形は子、

それぞれ前足を置いています。






⭕️獅子山

千代田区指定文化財

1991年(平成3年)4月1日指定


この石獅子は、区内に残る数少ない

江戸期の石造物のひとつです。

享保期(1716~1735年)に、

下野(現在の栃木県)

名工・石切藤兵衛が作ったものと

いわれています。

神田明神』のほかに「石切藤兵衛」

が手掛けたとされる『獅子山』が


「大山不動尊」(神奈川県伊勢原市)

「成田山新勝寺」(千葉県成田市)

に奉納されており、

この3箇所の『獅子山』をあわせて

「坂東三獅子」と称されています。

1862年(文久2年)11月に

両替屋仲間が石を積んで神田神社へ

奉納したという記録があります。

3頭の石獅子は、

親獅子が谷底へ突き落した

子獅子を見る構図になっています。

このうち江戸期以来のものは夫婦2頭のみで、

子獅子と獅子山は1923年(大正12年)

の関東大震災で失われ、

1989年(平成元年)に天皇即位を記念して

再建されました。

(注意)

千代田区指定文化財は獅子の夫婦2頭


確かに子獅子が色違いで明らかに

石が違い、彫りも別物です。

関東大震災で失われたとは

何とも無念です。


力石がありましたね、江戸の力自慢

が、担いで歩いたのでしょうね。



⭕️大己貴命

 (おおなむちのみこと)

だいこく様。縁結びの神様。

天平2年(730)

随神門過ぎてすぐ左側に

鎮座しております。

国土開発、殖産、医薬・医療に

大きな力を発揮され、国土経営、

夫婦和合、縁結びの神様として

崇敬されています。

また祖霊のいらっしゃる世界・

幽冥(かくりよ)を守護する神とも

言われています。

大国主命(おおくにぬしのみこと)

という別名もお持ちで、

島根県の古社・出雲大社の

ご祭神でもございます。

国土経営・夫婦和合・

縁結びの神様としての

ご神徳があります。



⭕️実は心配事が一つありました。

バスツアーで成田山新勝寺に

行ったばかりなのです。

神田明神と成田山新勝寺の

関係について深く考えた事はなかった

のですが、行った後にまさか....

と思い調べたら


こんな記事が、あります。

神田明神の正体は平将門です。

主神は大黒様と恵比寿様ということに

表向きなっていますが、

両方とも神道の神様ではありません。

対して成田山新勝寺はそもそもが

平将門を調伏するために建てられた寺です。


(平将門、画像)


そこで成田山を参拝した人が

神田明神を参拝すると、神田明神の

祭神である平将門を苦しめるというので

良くないと昔から言われています。

お守りとか購入せずにただ行くだけなら

問題無いとも言われているのですが

やはり余り気分の、良い物ではありません。


しかし神田明神でグリーンの龍人の

写真があるのを見つけました。


写真を撮ったときに緑色の光の線が写っている場合は、撮影した場所が精霊に守られていることを示しています。

特に神社やお寺、自然の多い場所などで現れることが多いです。


また、緑色の光が人物に対して線状に

降り注いでいる場合は、その人物の

魂が成長していることを表していると

考えられます。


そして、撮影した写真の中を横切るように

緑色の光が写っている場合は、

龍神が通ったサインです。


龍神を写真に納めると金運や仕事運、

恋愛運、結婚運などが上昇すると

言われているため、その写真は大切に

保管しておくことをおすすめします。

と....ネットにあります。


成田山新勝寺に行った私に対して

ここ神田明神の精霊は温かく迎えて

くれたと理解して

良かったのでしょうか.....

神田明神に温かく迎えて頂いたんだ

な....と思い

将門の首塚にも参拝したくなりました。



冒頭でもありましたが

東京十社は以下の通りです。

十社の一つ神田神社参拝致しました。

残り9つです。


 「王子神社」

 「根津神社」

 「白山神社」

「神田神社」⭕️

 「日枝神社」

 「氷川神社」

 「亀戸天神社」

 「富岡八幡宮」

 「芝大神宮」

 「品川神社」

下丸子...花見🌸🍺🌸

神社の鳥居と桜の

コントラストが綺麗だったので

桜並木も素敵だろうなあ~

と言う事で、河原に行ってみます。

堤防に1面の花畑が続いています。

これは見事ですね.....

ハマダイコンと言う花らしいです。

枝垂れ桜も満開で

たくさんの人達が写真に収めていました。


遊歩道の桜のトンネルも

素晴らしかったです。





間近で見て、満開の美しさです。


天気が良ければ...

もっと映えたでしょう


花壇のオステオスペルマムも

綺麗に咲いてます。


つぶあんよもぎ団子と...

3色団子を、買って食べる事に

しましたよ。

よもぎ団子、素朴な懐かしい

味です。

3色団子ほんのり甘くて

美味しかったです。

花より団子...ではなく

花も団子も‼️ですね~

少し暗くなってきたら

マンドリンとギターの演奏が

桜の木の下で始まりました。

🌱双葉....と言う名前らしいです。

途中から拝見しましたが

春よ来い...とか星に願いを、

ムーン・リバーと力強い

オリジナル曲を披露してくれました。

耳に心地好く、とても素敵でした。

そこのスタッフさん達が上に

ライトアップしてくれました。

素晴らしかったです。