賑やかな秋葉原駅より
徒歩10分
神田神社到着です。
東京を代表する神社、
知名度トップクラスの有名神社と
言っていいでしょう。
東京十社の一つです。
御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)
、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、
そして平将門です。
神田神社.....神田明神
東京の中心ー
神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、
旧神田市場、豊洲魚市場、
108町会の氏神様です。
参道の脇に店の狸がおります。
タヌキさん、またね~
参道から正面門に向かいます。
随神門と言うそうです。
社伝によると、神田明神は730年に
大己貴命の子孫・真神田臣により
現在の東京都千代田区に創建されました。
戦国時代の間は、有名な武士の太田道灌や
北条氏綱、さらには徳川家康も神田明神へ
参拝者として祈願していました。
特に徳川家康は深く信仰しており、
1600年の関ヶ原の戦いの際には、
この神田明神でご祈祷を行いました。
そして徳川家康は関ヶ原の戦いで
勝利し、それ以降、神田明神は徳川家に
とって縁起の良い神社となりました。
随神門の中の馬の彫刻は
躍動感があり迫力がありますね。
ガラス張りの為に景色が反射して
しっかり映りませんでした。
(画像拝借)
本来はこんな感じですね。
こちらも同様でした。
(画像拝借)
動きだしそうな勢いですね。
⭕️狛犬
昭和8年5月
氏子有志により奉献された。
造形については、動物彫刻を得意とした
池田勇八が原型を作成しているので、
よりリアルで精悍な表情をしている。
こちらは阿形になります。
こちらは吽形になります。
阿形、吽形逆になってます。
左側が阿形、右側が吽形です。
蹲踞姿勢の様で、前足開いてる
で、少し違う様な....でも
護国型になるのでしょうか...
正面を、向いている狛犬は
珍しいのだそうです。
確かに殆ど横向きですよね。
阿吽の呼吸を合わせる為に、
常にタイミングを図って
いるのでしょうか...
こちらは正面向いてるので
タイプが違うのでしょうね。
尾は太くピンと立っています。
当日結婚式の行列があり
とても厳かで神聖な印象を受けて
ました。
末永く幸せに!と祈って
しまいます。
阿形も
祝福してる様ですよ~
神社の左側には
なんと馬がいるのですよ。
あかりちゃんと言うらしいです!
平成22年5月15日、
神州佐久高原生まれ、
あし毛の牝馬。
神馬・神幸号
「明(あかり)」
名前のあかりは平和な世を願った
名前だそうで、神田明神の「明」
の字をいただいたそう。
あかりちゃんと呼ばれ、
参拝者のかたたちに親しまれて
いるのだそうですよ~。
あかりちゃんの馬舎の左側には
魚河岸水神社 がありました。
水神社の歴史は古く、
天正18年(1590)徳川家康公の
江戸入府とともに移住してきた
日本橋魚市場の開祖・森孫右衛門ら
摂津国の佃村・大和田村の漁師たちが、
大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して
「弥都波能売命」を祀った
「大市場交易神」がその始まり
といわれています。
、
明治34年には神田神社の境内に
「水神社」本殿が建立され、
日本橋魚市場は関東大震災以後に
築地に移転し、現在地に遥拝所が
建立されました
この狛犬たちは黒く
煤けていますが、火災で残ったとか
情報が無いので..
分かりません。
でも幾多の苦難を乗り越えたの
だなと姿を見れば感じますね....
尾流れタイプは石なのに繊細さと
柔らかさを感じるので好きですよ~
隣の社にも
狛犬が居りますね。
こちらは岡崎タイプです。
阿形は蹴鞠、吽形は子、
それぞれ前足を置いています。
⭕️獅子山
千代田区指定文化財
1991年(平成3年)4月1日指定
この石獅子は、区内に残る数少ない
江戸期の石造物のひとつです。
享保期(1716~1735年)に、
下野(現在の栃木県)
名工・石切藤兵衛が作ったものと
いわれています。
神田明神』のほかに「石切藤兵衛」
が手掛けたとされる『獅子山』が
「大山不動尊」(神奈川県伊勢原市)
「成田山新勝寺」(千葉県成田市)
に奉納されており、
この3箇所の『獅子山』をあわせて
「坂東三獅子」と称されています。
1862年(文久2年)11月に
両替屋仲間が石を積んで神田神社へ
奉納したという記録があります。
3頭の石獅子は、
親獅子が谷底へ突き落した
子獅子を見る構図になっています。
このうち江戸期以来のものは夫婦2頭のみで、
子獅子と獅子山は1923年(大正12年)
の関東大震災で失われ、
1989年(平成元年)に天皇即位を記念して
再建されました。
(注意)
千代田区指定文化財は獅子の夫婦2頭
確かに子獅子が色違いで明らかに
石が違い、彫りも別物です。
関東大震災で失われたとは
何とも無念です。
力石がありましたね、江戸の力自慢
が、担いで歩いたのでしょうね。
⭕️大己貴命
(おおなむちのみこと)
だいこく様。縁結びの神様。
天平2年(730)
随神門過ぎてすぐ左側に
鎮座しております。
国土開発、殖産、医薬・医療に
大きな力を発揮され、国土経営、
夫婦和合、縁結びの神様として
崇敬されています。
また祖霊のいらっしゃる世界・
幽冥(かくりよ)を守護する神とも
言われています。
大国主命(おおくにぬしのみこと)
という別名もお持ちで、
島根県の古社・出雲大社の
ご祭神でもございます。
国土経営・夫婦和合・
縁結びの神様としての
ご神徳があります。
⭕️実は心配事が一つありました。
バスツアーで成田山新勝寺に
行ったばかりなのです。
神田明神と成田山新勝寺の
関係について深く考えた事はなかった
のですが、行った後にまさか....
と思い調べたら
こんな記事が、あります。
神田明神の正体は平将門です。
主神は大黒様と恵比寿様ということに
表向きなっていますが、
両方とも神道の神様ではありません。
対して成田山新勝寺はそもそもが
平将門を調伏するために建てられた寺です。
(平将門、画像)
そこで成田山を参拝した人が
神田明神を参拝すると、神田明神の
祭神である平将門を苦しめるというので
良くないと昔から言われています。
お守りとか購入せずにただ行くだけなら
問題無いとも言われているのですが
やはり余り気分の、良い物ではありません。
しかし神田明神でグリーンの龍人の
写真があるのを見つけました。
写真を撮ったときに緑色の光の線が写っている場合は、撮影した場所が精霊に守られていることを示しています。
特に神社やお寺、自然の多い場所などで現れることが多いです。
また、緑色の光が人物に対して線状に
降り注いでいる場合は、その人物の
魂が成長していることを表していると
考えられます。
そして、撮影した写真の中を横切るように
緑色の光が写っている場合は、
龍神が通ったサインです。
龍神を写真に納めると金運や仕事運、
恋愛運、結婚運などが上昇すると
言われているため、その写真は大切に
保管しておくことをおすすめします。
と....ネットにあります。
成田山新勝寺に行った私に対して
ここ神田明神の精霊は温かく迎えて
くれたと理解して
良かったのでしょうか.....
神田明神に温かく迎えて頂いたんだ
な....と思い
将門の首塚にも参拝したくなりました。
冒頭でもありましたが
東京十社は以下の通りです。
十社の一つ神田神社参拝致しました。
残り9つです。
「王子神社」
「根津神社」
「白山神社」
「神田神社」⭕️
「日枝神社」
「氷川神社」
「亀戸天神社」
「富岡八幡宮」
「芝大神宮」
「品川神社」