すずめの次はmen
1/1日、ファーストディに何を見ようかと
思いあぐねましたが、
話題作のアバターではなく
MENにしました。
しかもレイトショーでしかやってなくて、
1/5で終了だったので、見るのは今日だな
でした。
目の前で自殺した夫に、衝撃を受けて
田舎の片隅に身を寄せるハーパーマロウ
の回りに、現れる同じ顔の男達は彼女の
気持ちを逆撫でするような言葉で、
気持ちをイラつかせていて、
後半は彼女の怒号しか聞こえなくて、
ヒステリックしか見えなかったけど、
男達は思い上がりの言葉と、女性軽視的な
発言も目立ちました。
彼女が怒るのも
仕方ないのかと思いましたが、
文化の違いもあり、
怒りすぎかな~と思いましたが、
裸の、ストーカー的な男が家に現れて
逮捕したが、何も悪い事してないと
すぐ釈放したり、更に気持ちを無視した
田舎の、男どもに怒りは頂点に達して
いたので、これはどうしようもない。
光の点滅で庭に居た男が消えたり、
顔に木を刺したストーカー男が現れて、
いきなり出産したり、更に出産した物が
更にまた、出産したりの繰り返しが続き
とても、現実に起きてるとは思えない
展開が続きます。
多分、夫との不仲は子供が出来なかったのが
原因だったのか...
現実なのか、心がそう見せているのか
良く分かりません。
しかし、床には血痕もあるし
奪われた車も衝突したままだし
ラストは良く分かりませんでしたよ。
なので、批評家さんの意見を見たら...
邦題は「同じ顔」であることを強調していますけど、そこは作中ではことさらに取り上げられません。全員が“ロリー・キニア”の顔をしているのは言わばメタファーであり、女性蔑視という男性の同一性を視覚的に表現する仕掛けです。
思えば“アレックス・ガーランド”監督は『エクス・マキナ』でも「権力を持った男性が“女性のアンドロイド”を作って満足感に浸る」という男性社会の歪んだ女性への態度を風刺してきていましたし、以降の他の作品でもミソジニーとそれに対抗する女性が描かれてはいました。
ハーパーがジェームズに与えることができなったもの、それが愛です。
男性が女性に一方的に愛を求める、いわゆる「男らしさ/女らしさ」の概念からすると、逆のパターンのように感じます。
とありました。
良く分かりませんが、男が女性に対する
固定観念や差別的な言動が
女性の怒りを買って、それに気付かない
男の身勝手さが同じ顔に見えたのかな?
愛が欲しいのなら、もっとお互いを理解しない
といけないのかな?と思いつつ...
女性は強いな~とも感じた映画でした。
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